駄文

風渡り05


人と会話した後、住民がどのような反応をしてくるのかと思ったが、異常なほど変わらなかった。先ほどのことなど何も無かったかのような当たり障りのない会話。気味が悪い、住民が全員演技をしていてそのなかにひとり迷い込んでしまったかのような居心地の悪さを感じた。
住民の目があるなかであの建物に行くこともできず、皆が寝静まる時間まで待つことにした。
夕食の時間になると梅が風渡りを呼んだ、昨日とは違い宴会になることはなく、若君、梅、柚子とで食卓を囲む。梅が作ってくれた料理は家庭的な味がして、ほっとする。素直に美味しいと感想を口にすると梅は嬉しそうに笑って、隣に座っている柚子も梅が褒められて満足そうにしていた。若君も穏やかで、やましいことなどなにひとつとないような雰囲気に見えた。
みなが寝静まった頃を見計らって外に出なければならない。梅や柚子だったならば夜風に当たりたいから外へ行くと言っても納得してくれそうなものだが、一番用心しなくてはいけないのは若君だ。
梅が用意してくれた部屋で布団に入ったまま暗い天井を見つめ、しんと静まり返っているなかひたすら時が過ぎるのを待つ、そろそろだろうと風渡りは体を起こして静まった廊下を歩く、夜目は利くから明かりの心配はしていなかったが、如何せん月明かりが明るすぎる。満月の日には妖が凶暴化する。
そんな日に怪しい建物に行くべきではない十分に承知しているが、もし子供が囚われているのだとすれば悠長に月が欠けるのを待っていられない。
外に出ると、夜の冷え込みは強く、ざわざわと木々が怪しげに囁いていた。少しだけ身を震わせて目的の場所へ足を向ける、木々を通り過ぎ、開いた空間に出る。
月明かりを受けて建物は怪しく佇んでいた。ここへ来たことを知らせようと叩こうと手を伸ばした時に、中からばたばたと激しい音がして息を呑む。のんきに構えている場合ではない、このままでは何かが手遅れになる。
風渡りが解決せずに封印するだけで終わってしまったもの、よほどの存在がここに在るのだろう。それでも、だからこそ放置することは出来ない。彼女が右手を宙にかざすとどこにもない空間から薙刀が姿を現し、それをしっかりと握りしめた。建物の後ろに回り、大量のお札が貼られた前に立つ。
薙刀を真横に振り払うとお札がかたかたと振動し、一枚また一枚と剥がれ、音を立てながら一枚も残さずに風に飛ばされた。これで物置を守るものは妖力もなにもない鍵だけ。
「風渡り様、何をなさっているのです」
正面に戻ると手に松明を持った何人もの男たちが立っていた。その中心には若君が立ち、冷たい視線で風渡りを射抜いた。
「あなた方はここに何を隠しているんですか?」
冷静に風渡りは聞く。
「風渡り様には関係のないことです」
若も同じように表情を変えない。
「私は風渡りです、ここのことを知る権利があります、あなた方が止めようとしても私はここを開きます」
「分かってもらえないのなら仕方がありませんね」
若君のその一言で里の者たちがおのおのに持ったものを構える、本来なら凶器として使われる筈のない桑や鉈に悲しい表情を風渡りは見せた。
この里の災厄はここにある、ここで全てを終わらせる。彼らが飛び掛かってくる前に後ろ手に鎖を断ち切った。キーンと大きな音を立てて鎖は飛び散り、里の者たちの表情が敵意から恐怖に変わった。
「―!―!!―!!」
この世の声とは思えない音が大音量で響いた。形状しがたい、この世にはあらざれる不協和音、気味が悪く、気持ち悪く、だがそれは確かに声だった。その音の正体は扉へと向かって真っ直ぐに飛んできた、巻き起こった風で男たちが何人か後ろへ吹き飛ばされた。
出てきたのは巨大な生き物、瞳は赤く、てらてらと光る緑の皮膚、鋭い牙、長い尻尾はうねうねと動く。
「あ、あぁ、開いてしまった、開いて……」
歯をがちがち鳴らしながら獣人は震え、恐怖に目を見開いたままそれを見つめている。
「あなた方はあれが何か知っているんですか?」
あれが妖であることは間違いない、だがそれにしてはおかしい、気配が多すぎて入り混じっている、奇妙な音の正体はそれだ。だが返ってくるのは沈黙だけだった。
「助けて、助けてください」
か細い声が聞こえてそちらのほうに視線を向けてみると、物置の中から手足が棒のように細くなってしまったふたりの子供が決死の力を振り絞ってこちらに歩いてきた。その後ろには骨が積みあがっている、風渡りは子供に駆け寄って体を支えてやった。獣人ではない、彼らは人の子だ。
「大丈夫。もう帰れます、もう少しだけ待っていてください」
風渡りは子供は身体を震わせている子供を木の陰へと連れて行った。
「ぎゃああああああっ!!」
叫び声が聞こえて、風渡りは呼びに来るまでここから動かないようにと子供に伝え、声のしたほうへと走る。光景をみて絶句した。妖の口から獣人の松明を持っている手が見えた、 松明が地面に落ちて火が広がっていく。
ばりばりと咀嚼する嫌な音が聞こえて、ごくりと飲み込むと骨を吐き出した。すぐに別のものへと視線を向け、獣人達は叫び声をあげ蜘蛛の子を散らすように走っていく。妖は巨大な体をずりずりと動かして口を開け、ひとりの獣人に狙いを定めて向かっていく、このままでは里の者が全滅してしまう。風渡りは左手を宙に向けるとお札が何枚も飛び出し、妖を四方に取り囲むようにぴたりと止まると透明の結界を張った、妖は逃げ出そうと体をくねらせたが結界にぶつかって身動きが取れない。
「ありがとうございます!!」
食われそうになっていた獣人が声を上げた。
「このまま結界を縮めて押しつぶします、今のうちに逃げてください!」
札の力を借りているとは言え、相手は今までに相手をしたことがないくらいな巨大な妖。この結界がこの妖を押しつぶすほどの威力を発揮してくれるかどうかは分からない、それでも近くに居る者が逃げることは可能だ。風渡りが左手に力を籠めると、徐々に結界が狭まっていく。妖が苦しそうな呻き声を発しながら逃げ出そうともがき何度も壁に体当たりをする。
「もうそれ以上はやめろっ!!」
妖が解放されてから一言も言葉を発していなかった若君が、顔を苦痛に歪めながら風渡りに向かって持っていた鉈を振り下ろした。それを避けることには成功したが、今ので集中力が途切れガラガラと結界が崩れ落ちてしまう。
「何をするのですか!!」
結界から解放された妖は咆哮を上げた。
「させない…この人を殺すなんてぜったいにやらせない!!」
妖の前に立ち鉈を真っすぐに風渡りに向ける。何故これほどにまでしてこの獣人は妖を庇うのか。
あれはこの里の者を食らった化け物で、それを庇っている本人でさえ手足が震えている。 戸惑いを隠せず彼を見る、妖は咆哮を上げてその牙を若へと向けてきたところではっとした。このままでは犠牲者がまた増える。薙刀をしっかりと構えたが遅い、相手の動きが早すぎる。助けられない。風渡りの顔に緊張が走った。けれど妖がぐらりと傾き、木々をなぎ倒しながら後方へとはじけ飛び地面を抉った、驚いて視線を向けると木の陰に柚子がいた、肩で息をして赤い瞳が光っている。それと同じくしてひとりの少女が彼の前へと飛び出してきた。梅だ。
「何をしてるんですかっ!!なんであんな危ない真似するんですか!」
先ほどから火の勢い増すばかりで炎の音が轟く、妖は炎を纏いながらものっそりと立ち上がった。風渡りは再び結界のなかにそれを閉じ込める。
「お前には関係ないっ!!」
「関係なくなんて無い!!わたしはあなたの家族で、あなたは里の長です!」
「そうです、若!我らの長はもう若なんです!ここでくたばってもらっては困ります!」
「若!」
「若っ!!」
風渡りが足止めをしている間に里のものは逃げたと思っていた、けれど逃げた人なんてなんて居なかった。
「違うっ!!この里の、本当の長はそこにいるだろ!!そこに、そこに居るんだ!」
彼が指を指した先には妖が居た。結界から抜け出そうと獰猛な牙を突き立てては声を上げている。獣人は警戒した様子でそれを見上げて、武器を握りしめる手に力を込めた。 獣人が妖になるなんてことはありえない、妖は妖として産まれ、獣人は獣人として産まれ来る。けれど彼の言わんとしたことは理解した、あの妖のなかには数多の気配が存在する。人、獣人、獣、そして―風渡り、あれは食らうと同時に取り込んでいる。食らったものの力を取り込み力を増強させる生き物、元々は力のないものだった、だがいくつもの生き物を喰らい取り込むことによりあの妖は力を増強させ、ここまでの妖になってしまった。気づかないふりをしていたが、あの風渡りの気配を知っている。
「若。我々も…そして父君ももう限界だと思います、若の父君はあんな、仲間を喰らうような化け物になってまで生きていたいと思いますか?もう、もう楽にしてあげましょう」
「いやだ!!お前たちまで何を言い出すんだ!!今まで俺が、俺が生かすことを選択しても賛同してくれたじゃないか!俺はいやだ!どんな姿であれ、生きていて欲しい!いやだ、いやだっ!!父さん、父さん、父さん!!気づけよ!俺だよ!俺だっ!!」
駄々っ子のように父親を呼び続ける。今まで散々この場を蹂躙してきた妖が一瞬戸惑ったように動きを止めた。彼の意識なんてそこに無いはずなのに。
「あなたの父親はもう死んだのです、現実を受け入れなさい」
風渡りは手早く術を唱えて、結界を解いて薙刀を手に妖へと踏み込む。鋭い風を纏わせ彼女は妖へと薙刀を振るった。
「やめろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
子供の嘆きの声を背景に風は妖を刺し貫いた。

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