駄文

密室


気づくと部屋にいた。真っ白な天井、真っ白な壁、ぺらっとした蛍光灯の灯りが正方形の狭い部屋を照らしている。窓も、ドアもここには存在していない。あるものは今自分が座っているベッド、シーツは清潔なものでこれもまた真っ白。ドアのない先にあるトイレと洗面所、天井から吊られている監視カメラ。丸テーブル。そのうえにおかれている黒電話と紙コップ。どのようにしてここへ来たのか記憶がない。自ら入ったのか、誰かに連れてこられたのか。思い出そうとしても頭痛がおきて思い出すことを体が拒否する。パニックを起しそうになる動悸を必死で押さえつけながら頭を回す。
まず考えられるのは、誰かのいたずらだということ。けれどいたずらにしては手が込んでいる。なにより自分はもう成人して何年も経っている大人で環境を考えても、そんなことをする人物は思い当たらない。次に思いつくのは身代金目的の誘拐。けれど俺の実家は金持ちというわけでもなく、こんな大人を誘拐する必要もない。それに電話を置くことなどしまい。けれどこの電話が繋がっているのかは謎。博物館などで展示されるような遺物だ。迷惑電話防止機能も付いていなければ留守番電話機能もついていない。だが現状当てにできそうなものはこれしかない。電話線は繋がっている。触って、ひっくり返してみる。電話をかけて爆発するようなことにはならなそうだ。穴の開いたダイアルに指を入れて回す。まずかけたのは友人。呼び出し音がなってじっと待つ。-この電話は電源か切れているか、電波の届かない…-受話器をおいて通信をきる。続いては実家。呼び出し音はなったが何時までたっても相手は出なかった。果ては警察、消防、救急、とかけてみたのだがそのどれもがコール音は鳴るものの一向に相手が出ない。友人や実家はともかくとして他はどう考えてみてもおかしい。
気味が悪い。相手の目的も分からない。相手の顔も分からないのだからなるほど誘拐事件だとしたらよく出来ている。大声を張り上げてみたが誰かに気づかれている様子もなし、監視カメラに向かって大きく手を振ってみても、犯人を挑発するために暴言を吐いてもみたがどれにたいしても反応が返ってこない。ぐるぐると回っては見たが、調べられる場所も数少なくベッドに戻ってうな垂れる。
「困った」
呟いた言葉は宙にとけて消えてた。

監禁されてから早3日が経過した。時計もないので3日という数字が正しいのかは分からないが眠ったのが2回。こんな状況で睡眠を取るなど出来るわけがないと思っていたが、どうやら時間になると睡眠ガスが発生し眠りに落ちてしまう。閉じこめた犯人は俺を餓死させるつもりはないらしく目が覚めると食事が用意されていた。眠ったふりをして食事を運んでくる相手を捕まえてやろうと思ったのだが不発に終わった。ガスはどうやって入ってきたのか。ああ、いくら考えても埒があかない。命の危機は今のところ感じないとしても、このままでは気がおかしくなってしまう。ひとつため息をついたところで静寂を切り裂く大きな音が鳴り響いた。なんの音だ。と思ったのも一瞬でこの部屋に音を発するものはひとつしかない。電話だ、電話が鳴っている。俺は一呼吸おいて、どくどくとなる心臓を収めようと努力しながら受話器をとった。
「はい」
思ったよりも固い声が出た。緊張で手に汗滲む。
「その場所は安全だ、外には感染者がうろついているからそこから出るな」
相手は男。何処かで聞いた声だが思い出せない。それに男の言っていることも分からない、安全、感染者、出るな。
「どういうことだ?感染者とは何だ?俺をここに入れたのは何故だ?」
「まだ、―っ、すまない、またかけれたらかける。っ!!駄目だ、ここから出るな!!」
「お、おいっ!!」
後ろで何か揉める音がして一方的に電話はきられた。まだ情報が少ない。電話口の男は妙に焦っていた。感染という言葉に関係あるのだろうか。感染、となると考えられるのがパンデミック。ここから出るなということは俺と同じような境遇の人間がいるということ…?違う、違う、そうじゃない。電話口の後ろから聞こえたということは同じ部屋にいるということだ、こちらとは状況が違う。何故?何故俺だけが密室に?分からない。
「ああ、くそっ」
考えても分からない、何か思い出せそうな気もするのだが頭に霞がかかったようにぼんやりとする。
他に出来ることは何だ?立ち上がり壁を叩く、固い感触とここの先は空洞では無いと知らせる鈍い音。……?空洞ではない?少しず つ壁をずらして叩いて行く、全てが同じ鈍い音。空間がない。では下?ベッドに出口が隠れているのか?俺はベッドをぐいと引っ張る。ぎいと床が擦れる音がしたがそんなことは気にしない。ベッドを移動させて床を調べてみるが空振り。切り込みなんてものは無 かった。
「なんなんだよ」
独り言をごちて床に座り天井を見上げる。…ん?天井?ここから見ても切り込みらしきものはここからでは分からない。けれどこれはどうにもおかしい。この狭い部屋に電気の明かりは中央にひとつでもあれば充分明るいはずだ。なのにここの部屋は中央を避けるようにして蛍光灯が備え付けられている。目をよく凝らして見るとそこにはうっすらと溝がある。上に続くドアがある。そうか、ここは地下室だ。何処にも窓が無いはずだ。けれどここが地下室だと分かっただけで上へと行く方法が分からない。俺の身長ではベッドを移動して上に乗ったところで届かない。テーブルか。あれを使えば上に上がれる。俺はベッドの上から布団を降ろし、テーブルの上に会ったコップと電話を降ろしテーブルをベッドの上に置いて乗る。不安定で少し怖いが届きそうだ。何とか天井に手が掛 かるだけでこれを押す力がどうにも入りきらない。これでも駄目かっ。視線を彷徨わせて蛍光灯が目に入る。これを使うか。さっき と同じ要領で蛍光灯に手をかけ、一本外す。蛍光灯一本くらいならそんなに暗くもならない。よし、これで出口を押し上げれば出ら れるはずだ。ああもう何でこんな事に気づくのに3日も掛かったんだ!蛍光灯を握ったまま電話の声を思い出す。「感染者がうろうろ している」「ここは安全」「出るな」蛍光灯を見つめて逡巡する。危険だから出るなという事を言われているが、だとしたら俺だけ がここでのうのうと過ごしているわけにもいかない。俺は蛍光灯をしっかりと握りしめ下からぐっと力を込めて押し上げる。なかな かに重たく少しの力ではびくともしなくて思い切り力を込めて押し上げる。
「開いた!!」
蛍光灯を降ろしたらまた閉まってしまうので、斜めにスライドさせて噛ませる。開いた隙間に手をかけて腕の力で体を持ち上げるが ここからがうまくいかない。体を上げたところで重いドアを一緒に持ち上げられるほどの筋力は無い。せっかく出口が見えたのに! 俺はテーブルから降りてもう一本別の蛍光灯を取ることにする、2本…部屋が暗闇になってしまうな。それでも俺は止めなかった、最 後の一本を抜く。密室空間であるために暗闇になってしまう、暗いというのはやはり恐怖感が増すものだ。目を瞬かせても真っ暗、 右も左もよく分からない、持っている蛍光灯を服の摩擦で光を灯し、蛍光灯を使って噛ませた隙間から差し込んで体重をかけ横に スライドさせる。ぎぎ、ぎ、と少しずつドアが開いていく。よし!!消えた蛍光灯の明かりを再び摩擦で付けて指をかけるところを しっかりと目視し、手をかけて体を上へと引き上げた。
「やった」
思わず声が漏れたが、ここもまた暗闇だ。蛍光灯を脇に挟んでまた擦りぼんやりとした灯をともす。どうやらここは廊下のようだ。 今は夜で灯をわざと消しているのか?それとも窓がひとつもない通路?考えても分からない。とにかく進んでみよう。壁に手を当て て右も左も分からない状況のなか足を進める。緊張のせいか随分と時間が長く感じる。ここから出る術があるのかどうかも怪しい。 廊下がずっと続くような気さえしてくる。と、途端に壁にぶつかった。此処から先はどうにも行けそうにない。と思ったけれど、こ れは扉だ。これで外に出られる、ノブに手をかけたところでまた電話の声を思い出す。地下室へ閉じ込められたままいたって仕方が ない。ぐっと手をかけて扉を開ける。明るい光が差し込んできて目を細める。久々の太陽。喜んだのもつかの間、青空に向かって聳 え立つビルの群れその中を我が物顔で闊歩する物体があった。だらりと弛緩した手足、腐った臭い、白く濁った瞳。ゾンビだ。そう としか形容出来ない物体がそこにはいた。それを俺を見つけると、唸り声を上げながらこちらに向かってきた。
「ひ」
食われる。思考と行動が一致せず俺はただそれを凝視する。だん!と耳をつんざく大きな音が聞こえてそれは倒れた。
「何をやってんだよ!!何で出てきた!?地下室にいろと言ってただろ!」
電話の声だ。その手には猟銃が握られていた。どうしてそんなものがある。何故俺は地下に居た。此れはなんだ。様々な疑問が浮か んだがどれもが言葉にならない。
「とにかくお前が見つかると不味い。お前が感染したことは知られてる。ワクチンを投与したが他のやつは死んだ!お前はワクチン 投与され発症せずに生きてる!だけどそれを潜伏期と捉えてるやつが多くいる、だから地下室へ戻れ!」
ぐっと強い力で肩を掴まれたが痛みよりも先に記憶が頭に蘇った。この世界に何処からか広がったウィルス。人の脳細胞を死滅させ 身体が腐敗。それに関わらず生命力(と言ってもいいのか分からないが)だけはあり、町を闊歩し、人を襲う。何彼らは動物でなく 人を食べる。何故人を捕食するのか、その研究は進んでおらずただ憶測だけが飛び交う。動物よりも人が目に入り動くものを追いか けているだけだ。魂を失った彼らがそれを補う為に食す。など荒唐無稽なことを研究者がそれを口にするほどに状況は切羽詰っていた。俺はそのウィルスに対するワクチンの研究者。成果は芳しくは無かったがそれでも確実に進んでいた。プロトタイプである薬 を精製する事には成功した。捕らえたゾンビに投与したがそれらはすべからず死滅。体内に直接投与しなくてはならず、兵器として の実用は不可。勿論そんなものを予防剤として生きた人間に投与できるはずもなく。我ら科学者は苦戦していた。そんな中で俺は誤 って彼らから抽出した血液に触れ感染。注射器を指に刺してしまった。それは直ぐに発症し始めた、頭がかき回される、上下にシャッフルされる感覚、手足が痺れて、全身を覆う激痛。叫び声を上げていることにも気付かない、鼓膜がやられた?違う、外部の声は聞こえている。研究者仲間である男の反応は素早かった。プロトタイプであるワクチンを投与した。此処からは記憶の混濁、頭がぐにゃぐにゃして、ーそこからの記憶は途切れて。次には地下室だった。俺の体は今人類の希望になってるのか。
「だったら直ぐにでも実験するべきだ!何で、何故あんな地下に閉じ込めただけで何もしない!?」
どうせ感染したこの身、人体実験でも何でもしてくれて構わまい。
「そうしたいさ!!でも、それどころじゃ無くなって」
だん!再びの銃声が聞こえた、また出たのかとも思ったが俺のすぐ隣に穴が開いていた。
「待て!!まだ、実験途中だ。殺したら駄目だ!」
「馬鹿が!同じケースが無いと知らないわけが無いだろう!他のやつは発症した!希望だと信じたそれに!」
「だが」
「それには致命的な欠陥がある!外部の細菌と混ざると投与時点で生存したとしても、直ぐにウィルスが繁殖し、そいつは!!」
話の途中で彼はこちらに銃を向けた、緊張が走り、同僚を守るために銃の前に立っていた電話の男は振り向いた。そこには、大口を開けて己を食さんとすゾンビの姿があった

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