駄文

死に旅 02


車から降りると体がバキバキと音をたてた。疲労感をまるで感じていなかったのに一度疲労を感じてしまうと一気に押し寄せてくるから不思議だ。しかしコンビニに車を止めたものの財布を持っていただろうか?今更ながらに疑問が沸く。死ぬために自宅を出た、身一つで来た記憶しかないので着替えも何も持ってはいない。車内を覗く、後部座席、足元、 グローブボックス。見つけた。それはかつてなくしたと思っていた財布だった。車内におきっぱなしになっていたのか、何処かに落としたと思っていた。 財布を開くと札が入っていて安心する。とはいえ、3322円。………これじゃあガソリンも入れれやしない。
「おじさん?」
がさごそと自分の車を漁る俺に向かって子どもが声をかけてきた。
「大丈夫、見つかった。行こう」
財布を持って手を上げる子どもは頷いた。コンビニに入ると間の抜けた音がして、こんなことになっていても世界は平和だな、なんてことを思った。お腹がすいた子どもはコンビニに入れば一直線に食品に向かっていくかと思ったら俺の隣から動こうとはしない。見知らぬ土地で不安だからだろうか。つまらなそうにしている店員以外誰もいないコンビニを歩き、弁当コーナーへ。子どもの視線はきょろきょろとせわしない。俺はどうしようか、とはいえ時間も時間だからか商品が少ない。なんでもいいか。俺はおにぎりを手にしてパッケージも見ずに適当に3つ籠の中に入れた。子どもは戸惑っている様子だった、何をそんなに迷うのか。
「好きなのでいいよ」
「うん」
子どもは手にチョコチップパンを取った。子どもらしい選択に思わず和む。籠の中に入れるように促すと素直に従った。

会計を済ませて車内でもそもそと食べる。
「…ぅ」
具のところまでいった俺は顔をしかめた。からあげだ。からあげ自体は好きだが一緒にする意味がわからない。別々でいい、むしろおにぎりはシンプルなのが一番いい。塩むすびで十分だ、なのになんでこんなものを入れる?日本の心を忘れたか。でも買ってしまったものは仕方がないので全て食べる。どちらにせよ味などよく分からない、食べたというよりは胃に押し込んだという表現が正しい。子どもを見ると両手でパンを持ち、ちびちびと食べている。普段ならおにぎりなど3つ4つは食べてしまうぐらいなのだが、コンビニ袋に食べ終えた包みと、手ずかずのおにぎりをビニール袋に入れて後部座席へと追いやった。
「どっかの駐車場に停まって今日はもう寝よう、車出してもいいか?」
俺の言葉に子どもはこくりと頷いた。出発して途中見つけた公園に止めて睡眠をとることにする。車内で一泊過ごすことにはなるとは思わず、毛布もなにも持っていない。座席を倒して靴を脱いで、決して寝心地がいいとはいえない車内で横になる。子どももそれに習って横になるとすぐに寝息を立てはじめた。疲れているのだろう。無理もない、街頭の明かりの中子どもの寝顔を見る。まだあどけないただの子ども。この子どもが「死にたい」と思うようなことがあるとは…俺がガキの頃は何も考えずに遊んで過ごしていたっけ。ぼんやりとそんなことを考えているうちに眠気が襲ってきて俺の意識はおちた。

こんこん、こんこん

誰かが窓を叩く音で目が覚めた。目を開くと太陽の光が目に入ってきて眩しい。音源はすぐに見つかった、運転席側の窓を鳴らしているのは警察官の制服に身を包んだ年配の男だった。俺はドアを開ける。窓を開けるとなるといちどキーを回さないといけないから面倒だ。
「なんの御用でしょう?」
「免許証を見せてもらえる?」
俺は頷くと車内に入れっぱなしになっている免許証を警官に渡す、彼はそれに目を通す。
「こんな所で何をしていたんですか?」
「あー…旅行を」
「旅行?」
警官の顔が訝しげになる、それもそうだ。今日は平日、ホテルでもなんでもないところで大の男と年端もいかない女の子。この組み合わせ何か事件性を疑って当然だ。
「んん……」
声がして振り向くと寝ぼけ眼でこしこしと目元を擦りながらもぞりと子どもが起きたところだった。
「おはよう、お嬢ちゃん」
「ふぁ…?おはようございます」
子どもは声に答えて呼んだ警官を見た。何が起きているのか分からない様子で首を横に傾げている。
「お嬢ちゃん、お名前教えてくれるかな?」
「……ゆいな」
「上の名前は?」
ここで俺ははっとした、子どもの名前を初めて聞いたうえに俺もこの子に名前など伝えていない。だがこの警官の手には免許証が握られている。親子関係ならばまぁこの状況も言い訳がつくだろうし、一緒にいてもなんらおかしくない。ところがそれが赤の他人だったらおかしい。旅行と言ってしまったし、この後この子の親が来ると言ったとしても連絡をとってくれといわれたらそれまでだ。どうしようか、ばれてしまったほうがいいのでは?色々な考えが頭によぎったが俺はただ子どもの返答を待つことしかできない。
「おぎわら」
「君、ちょっと一緒に来てもらえるかな?」
そうかこの子は荻原ゆいなというのか。俺とは一文字もあってない。
「いや、俺は…」
どうしたものかと戸惑っていると、警官が早くしろと視線で訴えてくる。
「なーんて、びっくりしたお父さん。昨日アイス買ってくれなかった仕返しだよ」
「え」
警官から威圧感がふっと消えるのを感じた。子どもの言葉に俺は目を見開く。
「お嬢ちゃん、そんな質の悪い仕返しはしちゃあいかんよ」
「だって、お父さんが」
「悪かったよ、今日買ってやるからそれでいいだろ」
子どもの頭を撫でて言ってやると、むくれていた子どもは嬉しそうに微笑んだ。
「たまには親子水入らずもいいが、ちゃんと学校にも行かせなさいよ」
ぽんと免許証が返される、俺は警官にそこはちゃんとしているよ。と手を上げてドアを閉めてエンジンをかけた。 警官に見送られて車は滑らかに進みはじめた。
「ありがとう、さっきは助かったよ」
「おじさんがいなくなるとあたしも困るから」
「お礼にアイス買ってあげるよ」
「うんん、アイスはいらない」
子どもは首を横に振るった。アイス”は”と言うくらいだから他には欲しいものがあるのだろう。
「他に欲しいものは?」
赤信号で止まり子どもを見ると戸惑ったように視線を彷徨わせていた。心が決まったのか口を開く。
「おじさんは、死んでしまう前に行っておきたいところってある?」
「君は?」
「………」
そうか、この子は行きたい場所があったのか。けれど聞き返しても返答がない、信号が青になって車を走らせる。
「どうぶつえん」
ぽつりと零された言葉。
「動物園に行きたい」
死ぬ前に行きたい場所で動物園を上げるこの子が子どもなのだと改めて思い知る。
「分かった、動物園行こうか」
子どもがぱっと顔を上げて、ほっとしたように頷いた。とはいえ俺はこの土地を知らない、何処に動物園があるのかも知らない。人に聞くか、なんてバカなことを思ったのも一瞬。遠出をしない俺が、車を買った時に子供が出きた時に遊びに行くかもしれないとつけたカーナビがあった。結局、妻との間に子供はなかった。1度流れてしまってから出来なくなってしまった。いや、今は妻の話はいい。
「おじさん…?」
気持ちが暗くなった俺を感じ取ったのか隣から心配そうな声がかかった。なんでもないと首を横に振るって笑顔を作ろうとしたけれどどうにも乾いたものになった。路肩に車を止めてカーナビをセットする。結局一度も使ったことがなかった。今日が初めて。操作して動物園を入力。ここから30分とかからぬ位置にあるみたいだ。動物園の規模は分からないが…。まぁ、子どもが気に入らないような場所だったらまた別のところに行けばいい。なに、時間はある。
「目的地を設定しました」
機械音声が告げて、車を走らせる。車を走らせている最中に子どものお腹がきゅるると鳴ったので昨日の残りのおにぎりを食べていいことを伝えた。後部座席にあったコンビニの袋を開いた女の子の顔が嬉しそうに輝く。
「シーチキンだっ!……あっ、でもおじさんもシーチキンがいい?」
「もうひとつは何だっけ?」
「もういっこは、おかかだよ」
「おかかをもらうよ」
そう答えると子どもは嬉しそうに笑った。車を走らせて25分、目当ての動物園に到着した。 平日ということもあってか駐車場は空いている。入場料を払う前におかかのおにぎりを腹の中に押し込んだ。
「大人ひとりと、こどもひとり」
「はい、おふたりで800園ですね」
提示された金額に俺はほっと息を吐いた。この子どもが水族館と言い出さなくてよかった、水族館だったら手持ちが足りなかった。
「どうぞ楽しんでください」
笑顔のお姉さんに見送られて動物園のゲートを潜った。正直動物にはあまり興味がなく、来たのは子供の頃以来だ。来たがっていたのだから子どもは喜ぶものかと思っていたのだが神妙な顔で看板を見つめていた。そこではたと思った、この子どもは「死んでしまう前に行っておきたい場所」と言っていたではないか。この子どもはここへ来たらもう思い残すことはないということなのだろうか。
「ペンギンを見たいの」
「そうか」
子どもの足取りは目的を持ってしっかりしていた。道中の動物もひとつひとつじっと眺めていた。はしゃぐわけでもなく、ただ静かに眺めるその姿に子どもらしかぬものを感じる。この小さな体にどれほどのつらいことを強いられたのだろう。俺は声をかけることをなくただ静かに子どもについていく。周りにはまだ言葉を話せない子供を抱っこして、母親が幸せな顔をしてキリンさんだよ、ゾウさんだよ。と言っていた。小さな子ども連れの母親が多かった。もう少し大きくなれば幼稚園や保育園に行く年齢であるから、こうして平日に来る人は限られてくるのだろう。中には男ふたりで歩いている謎の姿や、カップルをもいたが。そのどれをとても楽しげで、俺と子どもだけが世界から浮いていた。無言で歩いていく中で子どもは目当てのペンギンの前へとたどり着いた。ただ静かにペンギンを眺める。
「ペンギンは、あたしの好きな動物なの。それで、パパも好きな動物なの」
「そうなんだ」
それ以外言葉が見つからなかった。
「あたしのパパはとても忙しい人だった、夜は遅くまで帰ってこないし、お休みの日もお仕事に出かけてた。でも、たまに休める日がくるとあたしを動物園に連れて行ってくれたの。見るのはペンギンばかり、あたしが他の動物を見たいって言ってもずっとペンギンを見ているの」
ペンギンに視線を向ける、数匹が水の中で悠々と泳いでいた。
「それでも外に連れて行って、一緒に遊んでくれるパパが好きだった。だけど、パパは会社の屋上から飛んだの」
「―……ぇ?」
子どもは俺の言葉が聞こえなかったかのように言葉を続けた。
「仕事がつらかったんじゃないと思うの。パパは知ってしまったの、ママがパパがお仕事でいない時になにをしていたのか」
何をしていたんだ?なんて促さなくても子どもは勝手に口を開く。
「おとこのひとを連れ込んでいたの。おうちに帰るといつも男の人がいた、ある日はおにいさんくらい、ある日はパパよりもとしうえの人。いつも違う人だったような気がするけれど…ひとりだけおにいさんくらいの人がママのお気に入りでその人だけはずっといた」
「でもその人あたしのことが大嫌いで、おうちから追い出したり、殴ったりしてきてとても怖かった」
何処にでもありふれている話だった、フィクションの世界でも散々に使い古されているもの。 だけれど、そんなチープな物語に心を痛めている子どもがいる。この子どもにとっては現実で、死んでしまいたいほどの出来事で。
「パパがいなくなってからその人がおうちにいることになって、それが毎日になったの。その人のことが大好きなママにとってあたしはどんどん邪魔な存在になったの、だからママはいった、あんたなんていらない」
バシャンと音がして視線を向けるとペンギンが水の中に飛び込む音だった。
「だからあたしはパパのところに行くの」
言葉が見つからずに俺はペンギンに視線を向ける。そんなことを考えるのはよしなさい、なんて大人として子どもに説教を出来る立場ではない。なにせ俺はこれから死のうとしているのだから。
「行こう」
子どもは入り口に向かって歩きはじめた。俺は子どもを守ってやる言葉なんてなにひとつもってやしなかった。車に乗り込むと子どもは黙ったままの俺をじっと見る。それを無視して走り出してもよかったのだが、あの話を聞いた後に無視するのはかわいそうな気持ちになってしまいなんだ?と問いかける。かわいそうってなんだ、同情なんてこの子どもは欲していないというのに。
「おじさんは行きたいところはないの?」
やっぱりそうきたか。俺は思考をめぐらせることもなくひとつの場所がすんなりと思い浮かんだ。
「コスモス畑にいきたい」
口にして自分で驚いた、あのまま潔く死んでしまうつもりでいたのに。
「じゃあ、そこへ行こうよ」
「いや…俺は」
首を横に振るったが子どもがじっとこちらに視線を向けてきここで行かなければ後悔するよと告げていた。 こんなひとまわりもふたまわりも違う子どもにこんなふうに言われるなんて、自分が情けないなと思いながらも俺はコスモス畑を目的地として車を発進させた。 毎年通っていた場所へ。

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