駄文

白にとける


粉雪が舞う、真っ白の新雪の上を少女が舞う、くるりくるりと楽しそうに笑いながら。雪の中に解けてしまいそうな女の子だった、透き通った白い肌、真冬にも関わらず真っ白のワンピースを広げる。異常で、異様で、それゆえに美しい光景だった。いつものバイトへの道、異世界に迷い込んでしまったかのような不思議な感覚が襲った。誰もいない公園、子どもに遊ばれるために存在している遊具は白に染まり沈黙している。じっと見ていたら俺の視線に気づいた少女の動きが止まった。失礼だったと後悔する俺に向けて、柔らかく微笑んだ。
「こんにちは、おにいさん」
人を疑うことを知らない無邪気な笑み。挨拶に応えるために何時もはただ通り過ぎるだけの公園に足を踏み入れた、どれほどの時間少女はここにいたのだろう。足元は雪が積もり、少女の周辺にしか足跡がない。分厚いジャケットを脱ぎ、きょとんとしている少女の肩にそれをかけてやった。
「寒いだろ」
少女には大きすぎる緑のジャケット、白くて小さな少女に不似合いなそれ。
「うんん。あたし寒くなかったのよ?」
「じゃあ、見ている俺が寒かったんだ」
そういう俺に彼女はくすくす笑った。へんなおにいさん。だって。俺から見れば彼女のほうがほよど変だ。
「でもありがとう。とっても暖かいわ」
ぎゅっと抱きしめるようにジャケットを握って、嬉しそうに笑った。
「それ貸すよ。また会う時があったら返して」
彼女はおにいさんがそれじゃあ寒いんじゃないの?と聞いてきたけれど、彼女のワンピースに比べれば今の状態でも重装備なくらい。俺は大丈夫。と言って公園を出て行く、あまりのんびりもしていられない。俺はこれからバイトがある。少女はいってらっしゃい。と小さな手を振って見送ってくれた。

すっかり日も暮れてバイトが終わった帰り道、少女はそこには居なかった。そりゃあそんな長時間は居られないだろう。ベンチは真っ白に染まっていてジャケットは見当たらない、あのジャケットは気に入っていたのだが。まあいい、ジャケットならまた買えばいい。あの時貸さなかったほうがよほど後味が悪い、少し気になって公園の中へと入ってみる、真冬の公園にぼんやりとした街頭。滑り台の象は笑っているけれど物悲しい印象だった。「帰るか」独り言をぽつりともらして帰宅すため公園を出た。静かな静かな雪、また明日も雪だ。

次の日のバイト道。かくしてまた、その少女はいた。俺が貸した緑のジャケットを羽織って雪玉を転がして。
「よう」
声をかけると少女がぱっと顔をあげ嬉しそうに微笑んだ。こんなに無防備でいいのだろうか、年齢はそんなに幼くなく、中学生ぐらいだと思う。なのに中身がとても幼い。あまりにもアンバランス。
「こんにちは、おにいさん」
昨日と同じ挨拶をした。
「上着ありがとう、今日も会えたから返すね」
そう言うなりジャケットを脱いだ、ジャケットを脱いでしまうと着ているのは出会ったときと同じワンピース1枚になってしまった。
「あー…、まだ貸しておいてやるよ」
これでは意味がない。少女はきょとんとしながらも、そうなの?とまただぼだぼのジャケットを羽織る。
「雪だるまを作っていたのか?」
「そうなの。うんとうんと大きなのを作って、この公園に来た人を驚かせてやるのよ」
にこにこ笑いながら雪だまを掌で叩く。その手には手袋も嵌められていなかった。
「素手でやったら痛くなるぞ」
雪玉を触っている手をやんわりと取ると、嫌がることなく大人しく俺に掌を見せる形になった。思った通りその手は霜焼けで真っ赤に染まっていた。
「うんん。あたし痛くなかったのよ?」
「見ている俺が痛いんだ」
なんだこれ、昨日もこんなやり取りしただろう。彼女もそんなふうに思ったのかくすくす笑った。へんなおにいさん。だって。そこまで同じにしなくてもいいだろう。俺は自分のしていた手袋を脱ぐ、雪を触るわけではない、貸しても少し自分が寒くなるだけだ。
「これ貸すよ。また会う時があったら返して」
すっぽりと彼女の手に手袋を被せる、サイズがあっていなくて布が余ってしまっている。それがおかしいのか彼女は手を閉じたり開いたりを繰りかえした。それじゃあおにいさんの手が寒いんじゃないの?と聞いてきたけれど、俺はまた大丈夫だと返事をして、公園につけられた時計を見て慌てた。もうこんな時間だ。昨日はまだ時間に余裕があったが今日はのんびりしていられない。俺はこれからバイトがある。慌てて公園を出て行く、少女はいってらっしゃい。と小さな手に不似合いな手袋をつけて手を振って見送ってくれた。

日が沈んだなか俺は歩く、今日のバイトは厄介な人が来て大変だったと白い息を吐きながら素手を少しでも温めようとこすり合わせて息を吹きかけて、帰路を歩く。公園に差し掛かって視線を向ける。今朝見た時よりも少し雪玉が大きくなっていて思わず笑みをこぼした。何を思ったのか俺は白に沈む公園に入りその雪玉をさらに転がしてやった。再び公園に降り積もった雪を全部くっつけてやろう。なんて馬鹿なことを考えて、子供でも無いのに素手で雪玉を転がして、気づけば手は赤くなっていた。
「何やってんだ俺は」
言葉に出して時計を見上げれば夜の8時を指していた。馬鹿じゃないのかと自分を嗤ったけれど、あの少女がどんな反応を見せるのかを想像して、さっぱり思いつかないことに笑った。

次の日の朝。今日はバイトが休みの日。あえて寒い中をほっつき歩かなくてもいいのだが俺はあの少女のことが気になっていた。今日もまたいるのかもしれない、今日こそは自分の上着を着て返してくれるかもしれない。俺が転がした雪玉にどんな反応を示すのか見て見たい。そんな思いから、特に用事もないのに公園へと足を向けた。雪が降っている。公園に着くと少女が不似合いな緑のジャケットを着て雪玉を転がしていた。
「おにいさん!」
彼女はすぐに俺を見つけると雪玉から手を離して俺のほうへと寄ってきた。
「おにいさんでしょう?雪玉を大きくしてくれたの」
「さあ?自分で転がったんじゃないか?」
俺の返事に目を丸くして、くすくすとそうかもしれないね。なんて笑う。
「あのね、もうひとつ雪玉をまるめたの。これを乗せるのを手伝って欲しいのよ」
少女がこれとさす雪玉は昨日俺が転がして量を増やしたものよりも小振り。彼女が何をしたいのか一瞬で理解した俺はよし。と小振りな雪玉に近づいた。
「いいか?せいのであげるぞ」
「うん」
少女が腰を下げて雪玉をしっかりと支えたことを確認してから声を上げる。
「…せーのっ!」
少女の力は想像の通り弱く、俺ひとりで持ち上げたと言ってもいいだろう。それでも土台となる雪玉のうえに雪玉を重ね、完成した雪だるまはこの少女が作ったものだ。
「ありがとうおにいさん。あとは顔をつけるだけよ」
そうは言うが、この雪のなかに雪だるまの顔になりそうなものなどあるだろうか。少女はきょろきょろ視線を動かしながら公園の雪を踏みしめて足元を探す。雪、雪、雪、あるのはそればかり。落葉樹が植わっているが枝を折るわけにもいくまい。
「そうだ」
ちょいちょいと少女を招くと首をかしげたものの此方へやって来た。
「そのジャケット、ボタンが付いてるだろ。それを目にしよう」
言うと少女はびっくりする。
「そんなことをしていいの」
「勿論。また別のボタンをつければいい」
少女の視線まで屈み、ボタンを切ることに決めたがハサミなど持っていない。どうしよう。
「おにいさん。わたしね、ソーイングセットを持ってるのよ」
「そりゃ好都合」
少女は俺のジャケットのポケットから、そのジャケットに似つかわしくないソーイングセットが出てきた。
「この間。おかあさんがくれたのよ。嬉しくてずっと持ってるの」
にこにこと少女が笑う。うーん。そのおかあさんはこの子が真冬の公園にワンピースひとつで立っていたことを知っているんだろうか。
「そう。、はい取れた」
頷きながらソーイングセットのハサミを受け取ってボタンの糸を切り離した。ふたつのボタン。そんなに大きくは無いから、少女が雪玉に受けこむと目があるのかないのか微妙なところになってしまったが彼女はとても喜んだ。こんな些細なことで喜ぶのならと俺は耳当てと、マフラーを雪だるまにしてやった。
「おにいさん。それじゃあおにいさんが寒いわ」
いささかやり過ぎてしまったのか、彼女は眉を下げた。
「大丈夫。俺は体温高いから」
「本当?」
「ほんとさ」
頷くと、彼女は手袋を外して俺の手をぎゅっと掴んだ。
「本当だ!」
「だから言ったろ」
俺は直ぐにそう答えたけれど、体温が高い、なんてこの少女に付いた嘘だ。本当は寒いだなんて言ったら心配かけてしまうだろうし、折角雪だるまが完成したのに残念な気持ちになって欲しくなかった。俺は冷え性だ。男のくせに冷え性だのと妹にはからかわれる、冬でもぽかぽか体温の妹に向けて凍える場所から帰宅した俺は妹の首に手を当ててやる。ぎゃあぎゃあ喚き立てるので笑ってやるのだが、この少女の手も冷たい。
「おにいさん。雪だるまははどのくらいここに居られるのかな」
雪を払ったベンチの上に彼女は乗ろうとして、俺は慌てて払いのけてやった。冷たいのが染み込むからと俺の上着まで乗せようとしたがさすがに止められて、手は止めたが結局彼女はベンチに座ってしまった。
「春になったら暖かくなるから、そうなったら溶けてなくなるよ」
「そっか」
何処か寂しそうに彼女は雪だるまを見つめた。雪だるまを作ったのなんて何年ぶりだろう。小さな頃は雪にはしゃいだのに、大人になると煩わしいものとなってしまった。
「おにいさん」
「ん?」
靴で雪に円を書いている少女に視線を向けた。
「実はわたし。雪だるまの妖精なの」
「なんだそれ?」
くつくつと笑う。初めて聞いた、雪だるまの妖精。雪だるまの妖精である彼女は円を書いていたかと思えばふたつめの円も書いている。雪だるまか。
「ふふ。雪だるまの妖精なの」
もういちど彼女は繰り返す。
「だから。暖かくなったらとけていなくなっちゃうのよ」
雪だるまの絵は彼女の足で消されてしまった。俺は胸が痛くなった、そんなことするなと。そんなこと言うなと。
「でも。また。雪が降れば、雪だるまになれる」
「それはもう。同じじゃない」
首を横に振るう。何も言えなくてただ少女を見つめた。
「わたしそろそろ帰らないと。おにいさん手袋と上着ありがとう」
言いながら彼女は手袋を外そうとする。それを手で制した。
「また今度返してくれればいいよ」
少女は少し考えたが、頷いた。もう一度手袋をはめて、顔を上げる。表情から何か読み取ろうと思ったのに、彼女が何を考えているのかよく分からない。
「じゃあ。またね、おにいさん」
俺から離れて、彼女は言う。公園のそとに向けて歩いていく。
「なあ」
呼び止めた。何を言うべきなのか、何を言おうとしているのか、分からない。言葉が詰まった。公園の出口で振り返って、笑顔で手を振って。彼女は白のなかにとけていった。

それから何度も公園の前を通ったけれど、少女に会うことは無かった。雪が積もって、積もって、雪だるまの上に雪が降り積もり重みに耐えられず崩れ落ちてしまっていた。さみしい気持ちになって雪玉を掘り起こし再び乗せてやり、雪で湿ったマフラーと耳当てをしてやった。歪な、壊れた雪だるまにしかならなかった。

雪は溶け、春が芽吹く。
残雪を残した公園、けれど影に隠れるようにして隅に少しだけ固まっているだけだ。雪だるまはもうどこにも居ない、湿ったマフラーと耳当て、ボタンすら消えていた。ゴミとして処分されてしまったのだろう。たった数回しか会わなかった不思議な女の子。彼女は本当に妖精だったんじゃないか。なんてバカなことまで考えてしまう。ベンチに腰掛けて空を見上げる、雪が降っていた冬の白い空でなく。春の柔らかい日差し。
「あの。…もしかしてあなたがおにいさん。ですか?」
声が聞こえて視線を戻すと、其処には50代くらいのおばさんがいた。後ろには彼女と同じ年頃のおじさんもいる。ああ。目元が彼女に似ている。
「この公園で出会った雪だるまの妖精はそんなふうに呼んでくれました」
答えると、不思議そうにお互いを見る。
「ここに来た、女の子がそんなふうに自分のことを言っていたんです。春になると溶けて消えてしまうからって」
「…そう。あの子がそんなふうに」
伝えるとおばさんは悲しそうに視線を下げた。その背中をおじさんが優しく摩った。
「ここへ来たのは。君に返そうと思ってね」
左手に吊り下げていた紙袋を掲げたおじさん、自然と視線が向かう。紙袋を渡され中身を見ると俺のジャケットが入っていた。マフラーも、耳当ても、手袋も入っている。
「…あの子は、あの子と、たくさん遊んでくれたようでお礼をいいます」
深くお辞儀をするおばさん。そんなふうにされる義理はなく俺は慌てた。
「顔をあげて下さい。そんな、俺は別に、」
「いいえ。あの子はすごく喜んでいました。おにいさんと一緒に遊んだと。それはもう目を輝かせていました」
あんな些細なことだったのに。彼女はそんなふうに喜んでくれていたのか。
「それで。今、その子は…?」
予感はしていた。けれど聞かずにはいられなかった。
「なにも話さなかったのですね」
頷く。
「あの子は。亡くなった。医者には冬は越すことは出来ないと言われていました」
おじさんの言葉に息を飲んだ。でも、何処かで分かっていたんだ、ただ自分がそれを直視しなかっただけで。だって、彼女が着ていたのはワンピースなんかじゃない。あれは。あの、白い服は、病衣だ。
「そう。ですか」
胸が詰まってそれしか声が出なかった。

自宅に帰ってジャケットをハンガーにかけるために広げた。ボタンが目に入った。黒だったはずのボタンが花の形をしたボタンに変わっていた。頬にひとつ涙が伝った。

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