駄文

500円コース 06


僕こと叶憲史は、部屋を隔てている襖を前に水の入ったコップを持ち固まった。この部屋でなされていた会話をしっかりと聞いてしまった。望君が「……叶先輩が、俺のこと、どう思っているように見える?」なんて康成君に聞いている。立ち聞きなんてよくないとは思うが聞こえてしまったのだから仕方が無い。望君は僕のことが…好きなのか?だから康成君にあんなことを?あの口ぶりからして先輩として慕っているわけではなく、恋愛感情で好いてくれているように聞こえて僕は混乱する。望君はかわいい後輩だと思う、子猫に傘を差し出すところなんて誰も見てないと思っていたし、それを目撃されたのは恥ずかしい。それなのに「素敵だった」なんて真っ直ぐな瞳で言ってくる人を僕は他に知らない。…けど、恋愛対象として見られるかと考えると別だ。彼は顔立ちも可愛いけれど…って何を考えているんだ僕は!相手は後輩で男なんだぞ!!とにかく僕に出来ることは何も無い。いつも通りに振舞えばいい。いつも通り。僕は深呼吸をして襖を開けた。
「水持って来たよ」
声が裏返っていないことに安心した
「あ、ありがとうございます」
彼は頬を染めて水を受け取るために手を差し出した。僕が立って望君が座っているので彼は自然と上目使いになる。かわいらしい。…って!僕は何を考えているんだ!!望君がたとえ僕をそういう意味で好いてくれているのだとしても僕は別に彼をどうこうしようとは思わない。その後は何を話したのかよく覚えていない、やたらと望君を意識してしまった。平常心、平常心と心の中で唱えているのに、彼が僕のことを好きだと知った瞬間からどう接すればいいのか分からなくなってしまった。


康成の家を出てから帰る方向が同じ俺と叶先輩は並んで歩くことになる。いつもは朗らかに話しかけてくる叶先輩がなんだかおかしい。なんだかちらちらと俺のほうを見てくるし、たまに顔を赤らめて逸らしてしまう。どうしよう、やっぱり叶先輩は俺の事が好きなんだろうか?叶先輩は素敵な人だとは思うけれど、相手は男。別に偏見があるわけじゃないけど、でも普通に女の子が好きだ。
「あ、あの」
変な空気をどうにかしたくて話かける、内容を考えていたわけじゃないけれど別になんだっていい、今日は冷えますね。とか、なんだっていい。とにかく話題を、この空気を変えたい。なのに叶先輩はびくりと肩を震わせた。どうしよう、そんな反応されてしまってはなんていえばいいのか分からなくなってしまって叶先輩を見上げたまま口をぱくぱくと動かして言葉を探す。でも結局言葉が見つからなくてなんでもないです。と視線を落とすしかなかった。俺はバカだ。なんでもいいから空気を変えてしまえばよかったのに。康成が居てくれるとこういう時は助かるのだが康成はもうこの場に居ない。
「………え、と、望君は僕のこと……その、」
なにかを探るように問いかけてきた叶先輩。これは告白!?頭が混乱した。とにかく今は全部言わせないほうがいいような気がする。だからと俺を好いてくれている先輩を傷つけるようなことはしたくない。どうにかして言い回しを考えなくては。
「好きです!!とても尊敬できる先輩だと思っています!!」
先輩に告白される前に少しくい気味に声をあげた。先輩として好きなんだと、人間として好きなんだと伝えた。
「え、っ。……うん、ありがとう。うれしい、よ。」
先輩の頬が急速に赤く染まりながらも何処と無く戸惑っているようにも見えた。けれどその後ぎこちなく微笑んだ。…どうしよう。なにか言葉の選択を間違えやしなかったか?いいや大丈夫なはず、ちゃんと先輩として好きだということを伝えれたはずだ。なのに今更顔が熱くなる。だってこんな会話普通しない。気まずい空気がさらに気まずくなったような気がする。
「僕も、その……望君のことは好ましいと思ってるよ」
言葉を選びながら先輩が言う。
「え」
俺の足が止まる。これは告白?好ましいという表現がどういう意味なのかが分からない。先輩はやっぱり俺の事が好きなんだろうか。


望君の足が止まって焦った。僕は言葉の選択を誤ってしまったのではないか?あの言葉を聞いてからどうすればいいのか混乱して。ここはもういっそ望君に僕のことをどう思っているかと率直に聞いてしまおう、口を開いたけれどやっぱりなにかが邪魔をして言葉が尻すぼみになってしまった。それなのに望君はこっちの瞳を真剣に見つめながら「好きだ」と告白してきた。素直に嬉しい。人に好意を持たれて嫌な人間なんていない。だけど僕はその思いにどう応えればいいのか分からない、彼は好きだといっただけで付き合いたいとは思っていないのかもしれない。それでも何か答えなくてはいけないような気がして「好ましい」という表現を使った。後輩として人として僕は君を好いているのだということを伝えたかったのだが…望君が足を止めてしまった。
「だから、その」
どうやって言葉を続ければいいのか分からない。望君はじっとこちらを凝視している。これは期待されているのだろうか。付き合おうとか、そういう言葉を。僕は普通に女の子が好きだ。初恋の相手だって女の子だった。けれどじっと見つめてくる望君を見ていると心が揺さぶられる。付き合えないのならはっきりと言えばいいのに僕は何故それをしてしまわないんだろう。相手を傷つけたくないという思いもあるけれど。どうしよう。
「やめましょうこの会話。ごめんなさい困らせてしまいましたね」
望君が苦笑いで言い僕から視線を背け顔を伏せる。傷つけた。僕は慌てた、彼を傷つけることは本望ではない。僕は望君を嫌いではないしむしろ好ましいと思ってる。
「待ってごめん。……僕達、付き合おう」
何を血迷ったか僕は望君の腕を取って言葉を口に出していた。


俺はぽかんと叶先輩を見上げた。捕まれた腕が熱を帯びて熱い。さっきまであんな調子だったのにいきなりの告白。彼はそれを言う機会を伺っていたのかもしれない。俺は叶先輩のことを好きだと思っている。先輩として人として素敵な人だとは思っているけれども、付き合ってみたいとかは思ったことは無い。そもそもさっきも言ったとおりに俺は女の子が好きだ。でもきっと叶先輩にとって決死の告白なんだ。男が男に告白するのはとても勇気のいることだと思うから。叶先輩の言葉を気持ち悪いなんて思わなかった。叶先輩なら構わない。いつか叶先輩が自分の思いは間違っていたと気づいた時がきたとしても、叶先輩と特別な思い出を作ることは悪くないことのように思えた。
「俺でよければ、お願いします」
だから何を血迷ったか俺はそんな言葉を口にしていた。

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