駄文

幸福なものたち 暴食 05


何処にでもある普通の朝食の風景がそこにはあった。こんがり焼きあがったトースト、冷製のコーンスープ。そしてアンドレアスの家では珍しい、大きなステーキ。精肉店で売ってはいるのだが、食費の節約のために細切れ肉ばかり食べている我が家では贅沢品だ。
「いっただきまーす!」
肉好きの息子が嬉しそうに両手も合わせず手を伸ばした。
「こんな贅沢品も偶には良いわね」
息子を叱責することもなく、いただきますも言わずにアンドレアスの妻は肉を口に入れた。
「そうだろう。そうだろう」
アンドレアスはそんなふたりに笑みを見せて肉を噛み締めた。これ程美味いと感じた肉は初めてだ。人を貶め、冒涜し、その上に自分が立っているのだと思うと愉快でたまらなかった。
「美味しいよ」
こんなにも美味いものが食べられるなんて幸せだと3人は笑いあった。

1度甘美を味わってしまえば元に戻ることなど出来るはずもなく、脅威の速さでアンドレアスとその家族は人ひとりを平らげた。というよりも食べせざるをえなかった。じっくりと解体しようと思っていたのに思いの外早く死んでしまったからだ。気を失っていると思ったその後には出血多量で息絶えていた。 暴れない肉は解体しやすかったがアンドレアスに多幸感を与えることはなかった。食べた時は幸せを感じたが矢張り物足りない。自分は肉を絶望に陥れ絶叫したその先にある肉を求めているのだと理解した。肉を買い試行錯誤を繰り返す。いくらアンドレアスが求めるものが需要の少ないファームから連れて来たばかりの生きがいい男だったとしても、安い買い物じゃない。 試しに女を買ったこともある。脂肪が程よくあって味としては美味しいのだろう、息子や妻は喜んだが、アンドレアスは満足できなかった。値段が高いばかりでなんの高揚もない。上げる悲鳴も自分が弱者を甚振っているだけだと思うと辟易した。女はすぐに全て解体してしまった。

肉を買い始めた当初は喜んでいた妻だったが連続すると不機嫌になっていった。こんなにも金をつぎ込んでと。それでも止めなかった、小言は日ごと日ごとに増えていき、貯金額は急激に減り妻はついに激怒した
「いい加減にして!貴方が何に取り憑かれているのか知らないけれど、裕福な家じゃないのよ!?自分の給料知っているでしょう!」
キィキィと吠える妻の声、耳障りだった。
「貯金額だって把握しているんだろ。偶に食べるから美味しいんであって毎日食べるものじゃない」
冷ややかな息子の視線、目障りだった。
「いいだろう!俺は仕事もちゃんとやってる!君がここまでで肥えたのも!息子がギャンブル出来るのも!俺の給料があるからだろ!」
働かずに家でだらだらしている妻、生活費を父である自分に依存し自分の金は趣味にしか使わない息子。
「自分の給料以上に使っているから言うのよ!」
びりびりと家が振動するほどの声、テーブルに投げつけられる通帳が反動でページが開いて、目にしてみると残高は底を尽きそうだった。 逆によくここまで小言で済ませたと驚くレベルだったが、今のアンドレアスにはそれが分からない、通帳を握りしめて手を震わす。
「分かったでしょう。今から節約を徹底します。今後買うときには相談すること!暫く肉は買えません!」
節約、相談、などという言葉は耳に入ってこなかった。ただ肉が買えない。その事実だけがアンドレアスを苛む。項垂れた彼を見て理解してくれたものだと妻は思い込む。息子は肩を竦める。通帳から顔を上げるとふたりの姿があった。ぶくぶくに肥えた女。かつて美しいと感じたのに今や見る影などない、肉にしか見えなかった。でっぷりと太った男。かつて可愛いと育ててきた息子、頼もしい男になるのだと信じていたのに扶養されることが当たり前だと我が物顔で実家に居続ける。可愛げなど見る影もない。肉にしか見えなかった。

こんなところに、あるじゃないか。

ゆっくりとふたりを見回す。こんなにも近くにあった、こんなにも手の届く場所にあった。
「ふふ、ふ、あははははは」
笑いが止まらなかった。金など払っていたことが馬鹿に思えてきた。急に笑い出した夫に、父に、ふたりは不信な目で見る。アンドレアスは幽鬼のように立ち上がり地下室へと向かった。扉を開けると湿った空気にカビに混じって鉄錆の臭いがした。ワイン棚に陳列された凶器を見回して手にしたのは血の色で柄が黒く染まった鉈だった。急に笑いながら出て行ってしまったアンドレアスを不思議に思いふたりで顔を見合わせたもののいつもの日常へと戻った。地下室から階段を上がる音がしてふたりは視線を向る。

そこに居たのは、夫でも、父でもない、ただの殺人者だった。

悲鳴を上げたと思う、赦しを請うたと思う、かつて妻だった、かつて息子だったもの、鳴き声にしか聞こえなかった。自分が嗤っているのが分かる、愉快だった、逃げ回る肉を追いかけ回すのがこれ程に愉しいことだと知らなかった。自分を馬鹿にしていたものを嘲笑うのがこんなに心踊るものだと知らなかった。解体のノウハウは身につけた筈だった。でもそんなの関係なく壁際に追い込んだそれの脳天から力を込めて叩き割った。にぶい感触が腕を伝い、派手に赤い液体が飛び散り、びくびくと肉が痙攣をする、少しすると目を見開き顔を恐怖で固めたまま動きを止めた。
「美味しそうだ」
それを見下ろして、アンドレアスは嗤った。

じゅうじゅうと肉が焼ける音と共に白い煙が立ち上る。匂いは購入したものと比べると異臭がし不快だった。タレを付けてから口に運び、奥歯で噛み締めて顔を顰めた。矢張り買ったもののほうが美味しい。 床には血が飛び散り、かつての妻と息子が手足をもがれた状態で転がっていた。

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