駄文

幸福なものたち 幸福な子ども 05


柔らかな光を感じてフェリチタは目を覚ました。のそりと体を起こして、ぼんやりと真っ白なレースカーテンを見ると、 朝の光を柔らかく受け止めて優しい光となって部屋を照らしていた。はて、ここはどこだったかかしら、今日の当番はなんだったかしらと考えて、だんだんと思考がまとまってくる。 ここは壁の村じゃない、神様の住む世界にやってきたんだ。フェリチタはベッドから飛び起きて、今日こそは探検するんだと真っ白なスカートを揺らしてドアに駆け寄り、ドアノブに手をかけて回した、けれど途中で止まってしまった。 「あれ?」
もう一度回してみるけれど開かない、おかしい昨日はこうやって開いていたのを見たのに。ドアノブから手を離して顎に手を当てて考える。そういえば初めてこの部屋に入った時は細長いものを差し込んでいたと思い出す、あれがきっと扉を開ける魔法になっているんだ。だから自分では開けられないの?それでも外に出たいフェリチタはとんとんと叩いてみたり、もしもし、開いてくださいな。と声をかけてみるけれど、やっぱり開かない。 首を傾げて、視線を動かす。目を止めたのは羽目殺しになっている窓。近づいて外を眺めてみると、帽子を被って鞄をたすき掛けにしている同じ年ごろの男の子が新聞を持って走っていた、こっちを向いてほしくてフェリチタは窓をこんこんと叩いたけれど男の子はそのまま走って、歩いていた青年に新聞を渡してコインと交換して行ってしまった。 窓を開けようとしたけれど、押してもびくともしない。どうすればいいんだろう、ひとり考えているとこんこんとノックされて、返事を返す前に、フェリチタが色々試しても開かなかった扉があっけなく開かれた。
「どうやったの?なんで開いたの?なんで開かなかったの?」
「あなたでは開かないようになっているのよ」
入ってきたメイドに駆け寄ると、それが当然だとも言わんばかりの口調で答えられた。それじゃあお出かけしたい時にはどうすればいいんだろう。フェリチタがそう聞く前に、メイドは「お風呂にしましょう」と言ってきた。フェリチタはびっくりして見上げる。
「まだ朝よ?汗もかいてないのに?」
「そうよ」
メイドの言葉にフェリチタは渋る、ここのお風呂の入り方は好きじゃない。また野菜みたいにごしごし洗われるんだ。
「どうしても、入らなきゃダメ?」
「ええ、どうしてもよ」
フェリチタの言葉に頷く、わがままを言って困らせないようにね。おかあさんの言葉を思い出して、フェリチタは重い腰を上げた。 お風呂場は甘い匂いがした、不思議に思っているとお湯ではない別の何かが張られている。オレンジ色のなにか、手を伸ばして触ってみると冷たい。
「お姉さん、これお風呂じゃない。冷たいよ」
それにこの匂いは柑橘の匂い、村で飲んだことがあるこれはジュースだ。
「あなたは知らないでしょうけれど、こちらの世界には冷たい水のなかで浸かるという水風呂という文化があるのよ」
「でもこれってジュースだよ?」
村では蜜柑がたくさん取れた時にはジュースにしたり、保存できるようにジャムにしたりする。人間がこのなかに入るというのはなんだか奇妙だ。
「あなたは知らないでしょうけれど、こちらの世界にはあるの。お肌がすべすべになるのよ」
メイドの言葉にフェリチタはバスタブに張られているオレンジジュースを不思議そうに見る。フェリチタの体が沈むくらいに入っている、こんなにたくさんあったら村の人たちで分けって飲めるのに。もったいないな。
「さ、入って」
フェリチタはしぶしぶオレンジジュースのなかに体を沈めた。入ってみてもなんだかべたべたしている、でもとてもいい香りでおいしそうで指に付いたのを口元に持って行ったけれど、メイドに口に入れたらだめよ。と注意されてしまって大人しく腕をオレンジジュースに沈めた。 またごしごしされるのかと思っていたけれど、ゆっくり浸かってねとお風呂場から出て行った。足をばたばたさせて浸かっていたけれど時間が経てば飽きてきてしまった。
「水鉄砲!」
手で丸を作って遊んでみたけれど、一緒に遊んでくれるおかあさんもいない。出てしまおうと、バスタブから上がると丁度メイドが戻ってきて、体を丁寧に拭かれてまたお姫様の服を着せられる。
お風呂に入ったというのにオレンジジュースのせいで体がぺたぺたしている。水で洗い流したかったけれどメイドは水で流したら駄目だという、昨日と同じように髪も綺麗にセットされて、完璧なお姫様に変身。腕をすんと嗅いでみると柑橘の匂いがした。

メイドや執事は今日来たるお客様のためにせわしなく動いていた、一枚板の大きなテーブルに磨き上げられた銀食器、曇りひとつないワイングラスを並べて、段どりの最終仕上げを話し合っていた。 厨房でもミーティングが行われ、来賓リストと照らし合わせて彼らの苦手なものが入っていないか、アレルギーはないかなどの確認作業を行っている。 彼らが忙しいのはこの屋敷に念願の「幸福な子ども」がやってきたからだ。 屋敷の主は8年前からずっと幸福の子どもを待っていた、幸福の子どもを家に招く権利を得るために相当の努力をした。使えるコネを使い、ようやく権利を取得し、それから8年の月日を得てようやく彼女がやって来た。 小さな体に少しだけふっくらした体系、 初めて幸福の子どもを見た感想としてはどうにもピンとこなかった。正直壁の内側の子供のほうがよほどらしく見える、だが普段から良家の坊ちゃんや令嬢を見ているせいかもしれない気づく、思えばストリートにいる子供たちはもっとやせ細っていて見られたものじゃない。 皮張りのソファに座り、来賓リストに目を通す。このなかには幸福の子どもを欲しがっていたが手に入らなかったものたちが何人もいる。彼らの悔しがる顔が目に浮かぶようだとほくそ笑んだ。 扉がノックして返事を待たずに開かれる。いつものメイドがそこに立っていた。綺麗な顔に感情を乗せない、演じてみれば綺麗な微笑みを完璧に見せる彼女は多少の無礼はあるが、屋敷の主はこのメイドのことを気に入っていた。そんな彼女でなければあの仕事は収まらない。今までのメイドはどいつも使えなかった。
「間もなく準備ができます」
「様子はどうだ?」
「はい、バスタブに浸かっています」
「そうか」
屋敷の主が頷くと、扉がノックされた。返事を返すと別のメイドが入って来て一礼する。
「お客様がお目見えになり、部屋へお通ししました」
「よし、幸福の子どもを案内しろ。お披露目だ」
屋敷の主は立ち上がり、メイドふたりが礼をした。

身なりを整えられたフェリチタをメイドがこっちよと呼んで歩き出す。きっと朝ごはんだ、昨日飲んだジュースはとても美味しかったから、きっと朝ごはんもおいしいに違いないとわくわくと心躍らせた。 階段を降りて行くと人の話し声が聞こえてきた、メイドとご主人様しか会わなかったからここにはふたりしかいないのかと思っていたけれど、もっとたくさんの人が居るんだと嬉しくなる。同じくらいの子はいるのかな、友達になれるかな。フェリチタは心を弾ませてメイドの後に続いて、話し声の聞こえる扉をメイドが開いた。 長いテーブルにぴかぴかに磨かれた銀食器、曇りひとつないワイングラスが置かれてメイドが壁際に何人も立って並んでいた。テーブルに座るのは、男性、女性、子供、と混ざっていた。彼らは規則正しく等間隔に椅子に座って、開いた扉へと視線を向けた、上座にはご主人様が両手をテーブルの上で組み満足気な表情でフェリチタを見る。 視線の中心にさらされたフェリチタはびっくりする、村に居た時もひとつのテーブルを囲んでみんなが座っていた。それでもそこには乱雑さと明るさとが入り混じってとても暖かい印象を与えたのに、ここはどこか冷たい。 メイドが促すのでフェリチタはその後ろを付いていく、物珍し気にじろじろと見られる。ご主人様の隣に連れてこられたフェリチタはどうすればいいのか困った様子で視線を泳がせる。
「諸君見てくれ、これが「幸福な子ども」だ」
ご主人様の声にみなが嬉しそうに手を叩いた。
「これが、あの…!」
「まさか生きている間にお目にかかれるとは思っていなかったよ」
「幸福な子どもだよ!お母さん!」
思わぬ歓迎にフェリチタの緊張もだんだんと解けてきた、きっと来たばかりのフェリチタをみんなに紹介するために連れてきたんだ。ほっと肩の力を抜いて挨拶をしようと思ったけれど、メイドがこっちよとまた歩き出しあれ?と首を傾げる。 今からみんなでごはんじゃないの?一緒に食べるじゃないの?戸惑ったけれどメイドに付いていく、テーブルのうえには料理はまだ乗っていなかった、きっとお手伝いをするんだなとフェリチタはひとり納得した。 付いて行って通された部屋は鍋やお玉が天井からたくさんぶら下がった厨房だった。やっぱりそうだと確信する。厨房はむわっとした熱気に満ちていて、フェリチタの嗅いだことのない香辛料の匂いがした、火にかけられた鍋がぶくぶくと音を立てて沸騰し、まな板に乗せられたジャガイモやニンジンなどが素早い動きで切断されていく、一様に同じ動きを繰り返す同じ真っ白な服を着た男たちの姿はどこか恐ろしくフェリチタは体を固くした。
メイドはひとりのふくよかな体系をした男に声をかけた、振り返った男にじろじろと眺められメイドの後ろに隠れた。
「料理長、後はお願いします」
メイドは自分が一歩引いてフェリチタを前に押し出し、フェリチタは不安げに見上げたが彼女はフェリチタを置いて部屋を出て行ってしまう、それを追いかけようとしたけれど、白い男の手が伸びて腕を掴まれる驚いてるフェリチタの前で扉がゆっくりと、重々しく閉められた。

ピンクで統一された随分と可愛らしい少女趣味の部屋に、似つかわしくない執事服の男と、無表情のメイドが真っ白な袋を持ってそこにいた。寝相が悪かったのかぐしゃぐしゃに丸まったシーツの上には誰もいず、布団からはすでにぬくもりが失われていて、ベッドにいた人物がここを開けてから時間が経過したことを示している。
「あーあ。俺たちが掃除している間。やってきたジジイ共は美味い飯で接待受けてんのかあ」
男はぼやきながら布団からシーツをはぎ取って、白の袋のなかに乱暴に突っ込んだ。
「口ではなく手を動かしなさい」
「はいはい」
きびきびしたメイドも言葉に返事をしながら、男はテーブルの上に置かれていたものに視線を止めた、幸福な子どもが壁の中、通称ファームから持ってきたものが綺麗に並べられている、そのひとつのお守り袋に手を伸ばし、中身を覗き込んで顔を顰めた。
「うげ。銀貨1枚くらいは入ってるかと思えば、ゴミが入ってる。きったねぇなあ」
袋の中には草臥れた四つ葉のクローバーがひとつ。見てみろよ、とメイドに摘んで見せると彼女は顔を顰めた。
「遊んでないで。さっさと掃除する」
「はいはい」
さっきと同じ声の調子で男は頷いて、丸く編まれた草臥れた草と、素人が縫った粗さの目立つ装飾もない貧乏くさい布切れと、四葉のクローバーを一緒にゴミ袋につっこんだ。

屋敷の主は来客と共にしばし談笑を楽しんでいた。
前菜はすでに平らげられていて、メインディッシュを待ち構えていた、悔しがるよりも楽しみが上回っていることに屋敷の主は驚いたが、まあ無理もないと笑う、それほどに手に入らない希少なものだ。 扉がノックされて、両脇にいたふたりのメイドが観音開きになっている扉を同時に開くと、コックコートを着た料理長がガラガラとキッチンワゴンを押しながら入ってきた、ワゴンの上にはドームカバーが被せられた銀製の皿が乗っていて、皆が目を輝かせ、生唾を飲み込んだ。
「皆様、ご堪能下さい」
屋敷の主が両手を広げると、料理長がドームカバーを開けた。ふわりと湯気とともに香ばしい香りが部屋に広がる、中にはこんがり焼けた美味しそうな肉が入っていた。

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