駄文

ねこふんじゃった03


目が覚めた時には7時13分だった、急いで飛び起きる。最寄りに駅までは徒歩10分。乗らなくてはならない電車は7時30分。朝食を抜いて着替えてダッシュするしかない。悠長に朝食を食べていれば確実に遅刻する。俺はハンガーに引っ掛ける程度に掛けてあるYシャツに袖を通してジャケットを羽織る。義務的に足を動かして他のものなど目もくれずに走っていく、冷たい風が頬を撫でてそういえば冬だったことを思い出す。こんなに走ったのは久しぶりで頭で思い描くスピードと足の動きが一致しない。と、何かを踏んだ。ぶにっとした感覚と足元から聞こえる悲鳴。思わず足を止めて、恐る恐る足を上げながら視線を向ける。目つきの悪い黒猫がいた。毛並みはぼさぼさ、見るからに野良猫で俺は顔をしかめた。猫は嫌いじゃない、でも野良猫は嫌いだ。特にこんな猫はどんな病気を持っているのかわからない。猫は俺の足を引っ掻くと走って逃げて行った。
「あれ?」
俺は妙な既視感を覚えた。こんなことがここ最近であったような気がする。猫が喋ったような覚えがあるのだが………そんな馬鹿なことがあるか、猫は喋らない。駅へとたどり着いたのだが猫に時間を取られてしまい電車は行ってしまっていた。やってしまった。なのにそれほどの絶望感はやって来なかった。どうしてだろう、あんなにも必死で業務をこなしてきたはずなのに。遅刻すれば上司に人格を否定されるほどに怒鳴られることを経験しているのに。ぼんやりと視線を動かす、死んだ目をした量産されたサラリーマン、冬にも関わらず短いスカートでスマホを見つめている女子高生、友達の冗談に大口を開けながら両手を叩いている男子校生、やたらと前髪を気にしているOL。淀んだ空気を吸い込んで、妙にすっきりした気持ちになっていた。何気なくスマートフォンを開く、いつの間にか部下から通知が来ていた。「会社に来たら倒産したと張り紙が貼ってありました」…あれほどにまで業績を上げろと叱責されていたのは会社が回っていなかったからなのか。それほど動揺せずに納得した。どうしてだろう、これからどうしようとか、ざまあみろとか、そういう感情は沸いてこない。自分の心境の変化に首を捻りながらとりあえずのんびり寝てから考えようと踵を返して来た道を戻ることにする。猫を踏んだ場所で、何かを忘れているような気がするとひとり立ち止まっていると、走っていたスーツ姿の女性の肩がぶつかった。
「ごめんなさい」
拍子に持っていた資料を落としてしまう彼女。地面に散らばったのはテストの答案用紙だった。算数と書いてあるところから彼女は小学校の先生なのだろう。一緒にしゃがんで拾い集める。
「ありがとうございます」
お礼を言いながらテストを拾い上げる彼女を見て「あ」と声を上げた。俺は彼女を知っている。胸元の大きなリボンに、膝丈よりも上のミニスカート、赤いステッキ。夢のことを思い出した。彼女は俺を見て「あ」と声を上げ、まさか、と馬鹿なことを思い描いた。
「山下君のお父さんですか?」
「違います」
即答した。そうだよな、そんな馬鹿なことがあるわけがない。あれはただのふざけた夢だ。
「んー?何処かで見たことあるんですよね…畠山さんのおとう、お兄さん?」
「いいえ、あなたとは、うん。初対面ですよ」
「そう?そうですか?」
夢で会ったきりですよ、なんて言えば気持ち悪すぎる。首をひねる彼女の前方つまり俺の後ろからにゃあとかわいらしい鳴き声が聞こえた。
「キティ。どうして?窓閉めてきたはずなのに」
白猫がとことこと女性に向かって歩いてきた。にーにーと鳴いて小さく震えている。
「外が怖いならどうして出てくるかな」
白猫は夢見た白猫と瓜二つ。
「よかったら、俺が預かりましょうか?」
何を思ったか馬鹿なことを口走っていた、初対面の男に愛猫を預けるなんて誰がするだろうか。
「…お願いします。帰りはまたここを通りますから夕方に来ていただければ、お願いします!」
彼女は少し考えた素振りを見せたが、時計をみて飛び上がり俺に猫を預けると、走って行ってしまった。俺は茫然と白猫を抱えた。しばし白猫と見つめあったが、いつまでもこうしていても仕方がないので白猫を家に連れ帰えることにした。
「世界を救ってくれたふたりにちょっとしたご褒美よ」
自宅へと戻ると、腕に抱えた白猫が俺をしっかりと見据えて綺麗な声で喋った。これも夢か!俺は不貞腐れてベッドに倒れこんだ。

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