駄文

失われた蒼 01 青のない世界


わが国の科学はめまぐるしく発展している、この国にはなかった自動車たるものが道を走り、テレビたるものの中で様々な情報が得られたり、今までの生活と比べて信じられないほどに豊かになっていた。しかしその一方で失われたものもある。世界からは青が失われた、かつて美しい青をさらしていた空は今や排気ガスの厚い灰色の煙に覆われてしまっていて、風がほよど強く吹き荒れてもその停滞する煙を排除することができず、かつて美しかった青を見ることはできない。
そして海、川、湖、今や汚泥で覆われてしまっていて太陽の光を反射してきらきらと輝く美しい青を見ることは叶わなくなってしまった。老人などは口を揃えていう、生活は豊かになったかもしれぬがワシたちは以前の何もない美しい青い世界が好きだったと。この国も今の状態ではよくないということぐらいは頭の片隅ではわかってはいるのだが、経済を発展させるには今のこの状況を続けていくほかない、発展を止めてしまえばこの国は回りの国からますます取り残されるだけでなく、生活を維持できなくなってしまう。とはいえ、俺としては老人達が語る青の世界を知っているわけではない、生まれたときから空は灰色だったし、生まれたときから海は汚くくすんでいた。見て見たいと思わなかったことがないとは言わないが、今の暮らしをすべて捨てて青い空をとるかと問われれば俺は馬よりも自動車を取る。だいたい馬などは世話が大変だし、値は高価ではあるが自動車のほうがはるかに実用的だ、とはいえ俺は自動車など高級なものなどもっていないのだけれど。ふぅとため息をついて俺は煙草に火をつけて咥える。
勤務中ではあるが暇なものは暇なのだ。俺はこの国の軍人で少佐という地位にある、若くしてこの地位についているのは親父の采配だというだけ。銃の腕はあることは自負しているが、別のなんの遜色もない単なる若造だ。下のものは不満をいうやつは多いが、俺の父親は権力があってその決定に逆らえる人なんていない。お国を守る立派な軍人、聞いて呆れる、不正まみれじゃないか。そんなのだから息子である俺がこんなボンクラに育つのだ。
薄汚れた空気とともに吸い込んだ煙草の煙をふぅと吐く。今回の俺の仕事は「人魚」の目撃情報があったこの海の見張り。まったくばかげている話だ、なにが「人魚」だ。昔はよくいたものだと老人たちは話すが俺としてはそれは童話の中の存在であり実在するものなどではない。しかもその「人魚」が人を食っていたというのだ。ありえない。誰かが何かと見間違えたか、何かの話が拡大してこうなたったのだろう。―にしても暇だ。
「大野」
俺は背筋をぴんと伸ばした部下を呼ぶ。
「は、なんでしょう海藤少佐」
律儀に敬礼までしてくるこいつは大野聡。一ミリもずれない敬礼から見て取れるように、クソ真面目な男だ。
「暇だからゲームでもしないか?俺カード持ってるから」
煙草を咥えたまま懐からカードを出す。
「任務中ですから、っていつも持ってるんですかそれ」
「あぁ、だって暇な任務多すぎるんだもん。ここの持ち場は俺とお前だけだし付き合えよ」
「もん。って似合いませんよ。任務が終わればお付き合いしますよ。少しだけなら」
「やー任務が終わったらまず酒がいいなぁ、酒」
「酒は付き合いませんよ。この間みたいなことオレいやですから」
この間とは、その日も大野を引っ張って飲んでいたのだが、どうやら浴びるように酒を飲んだ俺が大野に多大なる迷惑をかけたらしい、聞いた話では大声を出して歌い出したかと思ったら道中で服を脱ぎ始めたのだという。俺にその記憶は全くないがな!それを聞いて親愛なる父君からはもっと気をつけろとお言葉をいただいた。そういう父君も酒癖はすこぶる悪いからあまり説得力はない。
「まーまー大野が介抱してくれるんだからいいじゃねーか」
「だから、それがいやだといっているのですよ!!」
からからと笑う俺に大野は顔を歪めた。
暇な任務も終わり、すぐにでも妻と娘に会いたいから直帰する!という大野を無理矢理酒場に連れ込んだ。他のやつは視線も合わせずにさっさと帰ってしまった。クソ、上司思いの部下ばかりで俺は泣きそうだ!!そんなことを零すとこっちのほうが泣きたいです。と大野が若干涙目になりながらぼそぼそと言っていた。酷い。大野は帰れば可愛い嫁さんと娘がいるからいいもののこちとら独り身だ。1人暮らしって憧れるー、痺れるー!と実家からそれほど離れていない場所にアパートなんぞを借りたものの喜んだのも初めだけで炊事洗濯を自分でしなければならないという状況が苦痛でしかない。家からお手伝いさんを呼びつけるのも気が引ける。そのせいで洗濯物は山のように積みあがり、食事も出来合いのものばかり食べている。そんな物悲しい独身男に付き合ってやろうという人はおらんのかね。
「ちーす、今日も街の平和を守る軍人様が来てやったぞー」
行きつけの酒場に嫌がる部下の肩を引っつかんだままに入ってく、もう酔ってるんですか。なんて言っている大野の言葉など無視だ。
「うわ、出たよ。海藤、店のもの壊してくれるなよ」
カウンターでしかめっ面したのはこの店の店長だ。凶悪な顔が歪むとさらに凶悪だ。しっかもひでぇ、俺どこへ行っても疎まれてるの?泣くよ?
「そこの部下さんもよく付き合うねぇ、大変だろ」
けらけらと笑うのはこの店の常連だ。大野は感激したように目を潤ませる。うわ、なにーこの差。
「ちぇーいいよ、いいよ。俺はどうせ、疎まれもんですよー、マスタービール!」
どっかりとカウンター席に腰を下ろしてさっそく注文、俺の隣に大野は諦めたように腰を下ろした。店長はやれやれと肩をすくめながらも俺の前にしゅわしゅわと泡立つビールをゴツく太い腕でおいた。俺はサンキュと短く礼を言うと乾杯も無しにひとり一気飲み。
「うわぁ」
大野の顔が顰められる。
「ぷはーっ!任務終わりの酒はうまい!!おかわーりー!」
「海藤少佐、もっとペース落としてくださいよ!!これ絶対悪酔いコースじゃないですか!!」
すでに空になったビールジョッキを見て大野は青くなっている。
「まーま、んなこと言わずに楽しく飲もうぜ!マスターこいつにもビール!」
「はいはい」
呆れた調子で大野の前にもビールがおかれるが俺のおかわりを出してくれない。おかわりは?なんて聞くとマスターは小さなコップでこっちに寄越してきた。
「うわっ、ひでえっ!!でもいい、そうなったら大野のを飲むから」
「ちょっ!!やめてください!あんた酔いやすいのになんでそう飲みたがるんすか!!」
部下のビールに手をかけたところで思いっきり静止された。まだ1杯よ?なんでこんな早くにストップかけられなきゃいかんのよ。
「部下のものは上司のもの!部下の手柄は上司のもの!上司の失敗は部下のもの!」
「最低だ!この人!」
大野を無視してぐっと飲む。だからどうして酔いやすいのにガツガツ飲むんですか!!とひとり大野は喚いているが、俺が潰れても大野は最後まで面倒みてくれるから後のことを考えずに飲めるというのもある。大野は優しいなぁ、こいつが女だったら俺は惚れてるぜ。…って惚れたところでこいつは既婚者だから無理か。だんだん体がぽかぽかふわふわしてくる、特になにもしていないくせに楽しい気分になってくる。うんうん、酒はこれだから楽しいんだよなぁ~。なんてほへほへした頭になった後の記憶は残っていない。


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