駄文

失われた蒼 02 友人


気づくと自室の床にいた。きっと大野はベッドまで運んでくれたんだろうが、自分で転げ落ちたのだと思う。顔を横に向けると何時履いたのか分らない靴下が目の前にあって顔を歪めた。臭い。いい加減洗濯をしなければならない、とはいえコインランドリーまでこの量を運ばなければならないのが酷く面倒くさい。臭くて人が死ぬことはないだろうが自分から異臭がするのは嫌だ。今日も今日とて仕事は夕方からだし、仕方がない、洗濯するか。のそりと体を起こして現状を把握する。
いつ着たのか分らない服があちこちに散乱している。これを片付けるのか、やだな。………うん。別に着替えがないわけではないし、来週でいいや。いや、少しずつ洗ってけばいいんじゃね?それなら1週間もあれば終わる、うん。明日からそうしよう。そう決めてのそりと起き上がった。とりあえず腹減った。乾麺が山済みになっているはずのキッチンへと向かう。キッチンはお湯を沸かすときくらいにしか使わないから綺麗なものだ。でも残念。もうストックが尽きていた。
「あー……」
買いに行くか。悲惨な状態がデフォルトのアパートから出る。空は相変わらずの灰色、これで天気予報では晴れだと言っている。昔を知るじいさん達がこれは晴れじゃない、なんて嘆いていたがその時代を知らない俺にとってはこれは晴れだ。財布だけをポケットにつっこんだまま歩く。道路では馬車に混じってたまに車が通っていくのを、馬が煩わしそうにしている。黒い排気ガスを浴びて、立ち止まって頭を振るう馬もいる。御者も排気ガスを思い切り吸い込んだのかむせていた。そんなものを背景にひとり歩いていると見知った顔を見つけて足を止める。両手には大量の本を持ってふらふらしている。あいつも毎回飽きないよな。
「よ、仕事では飽き足らず、家んなかにも図書館を作る気でいんのか?」
近づいてひょいと前が見えなくなるほどの本の山から半分くらい持ってやる、ずしりとした重みが両手にかかった。倍の量を細っこい腕で抱えていたと思うと毎回のことながら驚いてしまう。
「あ。あぁ、海藤!ありがとう、助かるよ」
ぱっと俺を見たとたんににっこりと笑い、大きな眼鏡の奥にある蒼い瞳を細める。やぼったい格好をしているこの男、|古海翔真《ふるみしょうま》は俺のことを友人だと言ってくれる数少ない人種である。大体のやつは俺の顔を見ただけで顔をしかめるんだが、こいつはどこか頭が足りないんじゃないか?なんて失礼なこを思ってしまう。
「んで、これはお前の家まで運べばいいのか?」
「うん。図書館は図書館で好きなんだけど、やっぱり家に本があると落ち着くんだ」
蒼い目を細めて笑う古海。成人男子のくせに無垢な笑顔という言葉が似合うのはこいつぐらいなものだろう。古海とはいわゆる幼馴染。バカみたいなことばかりやっては教師に呼び出され説教を受けていた俺とは正反対で常日頃から本を手に、座っているときでも立っている時でも大人しいこいつと友人になったきっかけはまるで覚えていない。まぁ、きっかけなどさしたる問題ではない。とはいえ、こいつはそういうこと覚えていそうだ。ふたりして灰色の空の下を歩く。
「それでね、この間フリグさんの家で子猫が生まれたんだって。見せてもらったんだけどすごくかわいくて、名づけ親になってほしいといわれたんだけど、どんな名前がいいと思う?」
「んなの、適当でいいんじゃね?超合金MAX。とか」
「あははははっ、なにそのセンス!!」
割と本気だったのに笑われた。しかしこいつの見ている世界は本当に俺と同じ世界なのかと疑ってしまうほどぽやぽやしている。俺が出てくる話題といえばうまい酒、タバコ、きれいなねーちゃん。夜中にクソみたいに路地にたむろっているガキ共を追い返しただとかそんなもんばっかなのに、こいつが話すととと言えばごらんのとおりだ。同じ世界に生きているのか不思議に思う。
くだらないことを話しながらも古海の家へとつく、こいつも俺と同じ独身で一人暮らし。同じ独り暮らしなのにここまで違うのかって思うほど綺麗に整頓されている。壁には本棚がずらりと並んでいて天井まで本が入るようになっている。本の虫とはこういうやつのことを言うのだろう。図書館で働いて、仕事でも本に囲まれ、自宅にも本に囲まれる。俺だったら発狂ものだ。活字など報告書を読む以外に読むことなんてない。あと、酒場の看板か。床にどさりと本を置いたのに倣ってその隣に本を置く。
「ありがとう、海藤。助かったよ」
「へーへーお礼は昼飯でいいよ」
どかりと我が物顔でいすに座ってやる。
「そっか、もうそんな時間だったね。今作るからちょっと待ってて」
いやな顔をすることなく頷く古海。
「おう」
ここで手伝うのが普通なのかもしれないけど俺に料理はできん、それゆえにすべて投げる。そしてできるまで寝る。つーかここまで、のこのこ力仕事を引き受けたのも手伝えば必ず昼飯をくれると分かっていたからだ。自分でもゲスいなぁ。と思いながらもほいほいと俺みたいなのを甘やかす古海も悪い。
寝て待っていようかとも思ったがついさっきまで寝ていたので眠気はやってこない。これだけ本があるのだから俺が気になるものもあるかもしれない。グラビアとか、エロ本とか成人指定の本とか。よいしょと立ち上がって本棚に近づく、木を隠すなら林。案外堂々とおいてあるかもしれない。ざっと目を通すけど、見つからん。いや、こういうのは辞書とかそういったものの中に隠してある場合が。分厚い適当な本を取って中を見たけれど背表紙通り医学書だった。顔をしかめる、じゃあほかの辞書か?本棚をさらに物色。だが、ない。マジかよ。てかなんでこんなに大量の辞書があんの?これどこの国の言葉?ひとり頭を抱えていると料理を作り終えた古海が戻ってきた。
「珍しいね、海藤が本の前にいるなんて」
テーブルの上にほかほかと湯気の上がった野菜炒めを置く、コーンスープに野菜ジュースも。ってどんだけ野菜が好きんだよ、肉を食え、肉を。
「あーうん、エロ本ないかなって探してた」
別に隠すようなことでもなく正直に言う。
「ないよ?」
当然のように言われた。さぞや家にそんなものがあるほうが珍しいと言わんばかりの表情だ。逆に心配になる。
「………お前、女に興味ないの?」
「っっっ、な、んで、そんなふうになるの!?普通に女の子が好きだよ!変なこと言っていないで、冷める前に早く食べようよ。」
想像もしていなかった言葉に古海は心底驚いた表情をしている。悪かったな、なにせ軍組織に所属していると色々いるのでまさかと疑ってしまった。向かい合って椅子に座って箸を手にすると、前で律儀にいただきますと両手を合わせている古海がいる。俺はさっさと食べ始める。
「ん、うまい」
たかが野菜なのにここまで美味いのは正直すごい、まぁ今までたかりまくっていたのでこいつが料理上手というのは知っているのだけれど、ここ最近はまともなものを食っていなかったせいですごく美味く感じる。
「よかった」
嬉しそうに笑う古海、人にほめられると嬉しい。となんの恥ずかしげもなく喜ぶ、たまに恥ずかしくなるときがある、こいつはあまりにも素直すぎて怒るときには怒ってると素直に言うし、悲しいときには傷ついたなんていうし、嬉しいときには飛び上がって喜ぶくらいだ。ほんとに同じ人間なのか。
「で、彼女とかいねぇの?」
話をずいっと戻してやる、と丁寧に咀嚼していたのに急にごくりと飲み込んでげほげほと咳き込む。おおーあわてちゃって。俺を見たかと思えばすっと視線を逸らしてこくりと頷いた。
「い、いる、よ」
「え、ま、マジ?」
まさか、と思った。古海はどこか別の世界の住民でそういう色恋沙汰とは無縁のように思っていたから。エロ本探してたけどさ、まぁどうせ出てこないだろうな。と思っていたさ。けどここで彼女がいる宣言。まじか、マジかぁ。しかし古海の彼女かぁ……うん、考えてみると想像に難くないかもしれない。きっと同じようなおっとりとした子なのだろう、恋人とかそういうのは想像できないけど、家族とかそういうのはこいつにしっくりくるような気がする。いや、自分でもなに言ってんだ。って感じだけどさ。
「へぇーよかったじゃん!!いやぁ、お前あんまりにも女っけないからさー紹介してやらねぇといかんかなーなんて思ってたけど。思ったら俺、軍人で周り男ばっかだった!!って思って紹介できんかったけど!よかった、よかった!!なになに、どんな子?」
背中をばしばしと叩いてやりたいけど古海は向かいに座っているためそれが出来ない、仕方なくテーブルをばんばん叩く。コーンスープが揺れて、こぼれるから危ないよ。なんて注意された。
「えぇと、かわいい子だよ」
頬を染めてにこりと笑う。…いやそれは説明になっていない、付き合っているなら相手のことはどんな子であれかわいいと思うだろ。かわいいと思わないと付き合わなくね?本ばかり読んでいるくせに語彙力がない。でも古海はすごく幸せそうに笑うから、まぁいいか。
「紹介しろよ!親御さんに挨拶の前に俺に挨拶な!!お前にふさわしいかばっちり見極めてやんよ!!」
「う、うん。でもちょっと彼女特殊で…普段も夜にしか会えないし…」
言葉が尻すぼみになっていく。…夜にしか会えないって…ぶわっと涙が溢れてきた。うん、そうだよな。こいつ純情だもんな。
「お…お前っ、デリヘル嬢に惚れちゃったのか?あれはお仕事だから、本気になったらだめだぞ。割り切るんならいいけどさ、そうじゃないなら金だけで繋がる関係なんてだめだぞ」
「なっ、何バカなこと言ってるんだよ!!違うよ、彼女はそんなんじゃない!!そういう人を呼んだりしないよ!!」
「あ、違うんだ」
「当たり前だよ!!」
まぁ、そうか。こいつがデリヘル嬢を呼ぶことはしないだろう、いや。でも夜にしか会えないとか。なんか騙されてるんじゃね?
「……うん、古海。やっぱりそいつ俺に合わせろ!もしかしたら騙されてるかもしれない」
「いや。僕彼女にお金とか渡したことないからね!!」
今後あるかもしれないじゃないか!
結局あれ以上は古海の彼女について聞き出すことは出来なかった。けど夜にしか会えないなんて怪しすぎる。騙されて金品を騙し取られるかもしれない。その彼女とやらを見極めないと…ってなんで俺がそこまですんだよ。なんて思う気持ちもあるけれどあいつは騙されやすいからちゃんと見ててやらないとなんて同級のくせに兄心なんて持ってしまっている。まぁ、それとなくあいつの周りにいるやつに聞いてみるか。


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