駄文

失われた蒼 06 手


軍がその後に出来たことはさらなる人員の増員。ただそれだけだった。ひとつは今まで通りに町の巡回、ひとつは場所を移動せずに待機。昼夜問わずに行われて、その間にもなんとか犯人に繋がるものをと探しているが駄目だった。薬は精神安定剤であったことが発覚したがそれだけ。1錠だけ落ちていたから指紋もついていないし、それはどこにでも扱っているものだった。病院でも軽度の患者に出すというし、薬局で誰でも買えるものだという。誰もが不安に陥っているなか購入している人物は多く、その中から特定することは難しい、事情を聞くために分るだけの人物に当たったらしいが、ただでさえ不安だというのに犯人扱いされたらたまったものではない!と門前払いをされたところも多かったらしい。状況は最悪。あの後何度も同じような遺体が海から引き上げられた。どれだけ増員しても止まらない殺人。
「あーくそ」
頭をがりがりとかく、軍内部もカリカリしているし、町はひんやりとしている、心の癒しがまるでない。最悪。
「海藤少佐、焦る気持ちは分りますけどあなたまでカリカリしないで下さい」
とにかく神経を使うのだ。仕方がないと思わないか?
「あー疲れた、ちょっと一服させて」
手をひらひらと振って大野から離れる、叱責する声が聞こえるが無視だ。よっこらせと椅子にどかりと座る。この波止場にはずっといるような気持ちになってくる、これだけ犯人が出てこないのだから、もう人魚の仕業なんじゃないのか?煙草を口に咥えて火をつけ煙を肺へと送りこむ。あーニコチンが染みる。体に悪いとは知っているが習慣になってしまっているから今更止められない。止める気もない。ひとり煙を吸っていると大野が突然何かに反応したようにぴくりと動いた。
「どうした?」
届くように大きめの声を出す。
「何か音がしました、行って来ます」
ひとり走り出す大野、これにはちょっと焦った。人の良さそうな顔をしているが大野は軍人、ちょっとやそっとのことでどうにかなるとは思わないが、相手はあの猟奇的な殺人犯かもしれない。銃を持っているとはいえ1人で行動するのはちょっとまずい。
「大野!ひとりで行くな!」
火をつけたばかりの煙草をもったいないと思いながらも地面に落とし足でもみ消す。
「あいつ何処行った?」
大野が走り出したのはついさっきだ、だが古ぼけた街頭がぽつぽつ並ぶだけの暗がりの中ですぐに大野を見つけることが出来ない。舌打ちをする、こんなことならのんきに煙草を吸っているんじゃなかった。暗闇のなか目を細めながら慣れた道を走る、暗闇の静寂を破る銃声が聞こえた。
「―くそっ!!」
何かあったのか!?それとも軽率に打ったのか!?どちらにしても馬鹿だ。銃声の方向へと足を進める。海に面した防波堤の前で大野がひとり銃を持った手を下ろして立っていた。
「大野!!どうした、何かあったか?」
大野へと駆け寄る、大野の纏っている雰囲気が殺気だっていたが俺を見つけるとそれが消える。
「ここで何かを話していた人物がいたんです。怪しいと思って、発砲しました」
「は。はぁっ!?お前馬鹿かっ!!声もかけずにいきなり発砲したのか!?相手が一般人だったらどうすんだよ!!怪我させなかっただろうな!!」
大野に何かがあったわけではなかったことには安心したが、大野のとった行動は軽率すぎる。犯人が挙がらなくて焦っている気持ちも、不安になる気持ちも分るが馬鹿だ。カリカリするなと言っていたのはお前だろう。
「―…足にかすり傷は負わせたと思います。引きずりながら逃げていきましたから」
「ばっか、本当もうお前馬鹿!!相手が犯人だとしても、一般人だとしても逃げるに決まってるだろ!!」
犯人ならば捕まりたくないと逃げる、一般人ならば相手が殺人犯かもしれないと思って必死になって逃げる。どうしてこいつは考えなしに動くかな!?
「も、申し訳ございません」
しゅんと肩を落とす大野。
「はぁ…まぁ、お前に怪我がなくてよかったよ。もうここはいいから他を巡回しようぜ。…大野が馬鹿をして発砲したって先に伝えておくからさ」
一般人だったら病院代を出すようにも言っておかなくては。大野の肩を軽く叩いて一歩踏み出しながらもトランシーバーを手にすると、どぼん。と俺の後ろから何かが水に落ちる音がした。振り向くと大野が防波堤に捕まっていた。この海は海水浴には向いていないぞ。
「おいおい、今日はやけにドジを……」
呆れながら声をかけたときに風が吹いて滅多に視えることがない月の灯りがぼんやりと届いた、海の中から真っ白の手が伸び大野の足を掴んでいた。
「大野っ!!!」
慌てて大野の腕を両手で掴む、けれど海から手を伸ばしているもののほうが力が強い。なんで、なんで、なんで!?何でそんなところから腕が生えてんだよ!海の中に潜ってるんだよ!?今冬だぜ?なんで、なんで!?意味が分らずに混乱する。
でもそんなことよりは今は大野だ、こいつを引っ張り上げなければ。ざりっと音がして地面に靴がこすれ引っ張られていく。大野はこんな状況であろうことか必死な顔をして左手で何かを探っていた。馬鹿か!?このまま引きずり込まれたらお前死ぬぞ!!銃でも探しているのかと思ったら大野が握り締めてこちらに差し出してきたのはぺらっぺらの紙。俺はその腕ごと掴んでやりたかったが俺の両手は大野の右手を掴んでいる。大野がこっちの手を掴んでくれればいいのに。なんでそんなものを。ざりっとまた音がして海へと近づく、くそっ。舌打ちをする。何か手はないかと思ってみるがこの手を離してしまえば大野は落ちてしまう。
「海藤少佐!!俺よりも先にこの紙受け取ってください!!濡らすわけにはいかないんです!!」
「は、はぁ?!なに馬鹿なこと言ってんだよ!!お前を引っ張りあげればそれも濡れずに済むだろ!!」
この後に及んで何を口走っているのか。馬鹿か、馬鹿なのか。いや馬鹿だ。
「いいですから!先にこれを。娘の、ユウナへの誕生日プレゼントの引換券なんです!」
必死になってなにを差し出してくるかと思ったらそれか、こいつの子煩悩は知っていたけれど命の危機に直面している時に渡すものじゃない。誕生日プレゼントならまた買いなおせばいい、来年だっていい。けれどあまりにも大野は必死だった俺は舌打ちをしてなんとか足踏ん張って、片手を離す。ぐっと重みが増したが少しの辛抱だ、左手を伸ばしてぺらぺらの紙を受けとる。よし、それを急いでポケットにねじ込み再び手を伸ばそうとした。けれど、手が滑った。
「え」
一瞬だった、ほんの少し片手を離しただけだったのに、大野の手は離れ海の中へと引きずり込まれる。
「大野っ!!」
慌てて上着を脱ぎ捨てて海へと飛び込む、汚いとか、この水を飲んだら病気になるとか知ったことじゃない!大野を助けないと!!けれど俺のそんな行動も虚しく、海がどす黒い色に染まっていく。血だ。でもそれだって、腕の1本や2本で人間は死にはしない。腕がなくたって生きていける。
そのまま海へと潜ろうと息を吸い込む、廃油や色々なものが混じった悪臭がする。有害物質がぴりぴりと肌を刺す。
「そこの不審者!!手を挙げろ!!」
突然声が頭上から降ってきた。顔を上げると他の場所へと巡回へ回っていたはずの部下がいた。銃声を聞きつけて走ってきたのだろう肩で息をしている。懐中電灯が当てられて眩しい。
「大野が海に引きずりこまれた!!探すから手伝え!!」
「海藤少佐!?大野が…って待って下さい!!駄目です!この海の中に潜るなんて死にに行くのも同然ですよ!目を開けたらそれこそ失明の恐れがあります」
「二次被害を出すの……ひぃいっ!!」
小山の隣で同じように声を張り上げた山田が悲鳴を上げその場に崩れ落ちる、その拍子にかつんと懐中電灯が落ちて地面に転がる。山田の視線の先を追うとぐったりとした大野の姿がそこにあった。海にぷかぷかと浮いていて血が流れ汚い海をさらに汚している。
「大野!大野っ!!陸にあげる!!」
俺が大野のところまで泳いで、その体を掴む。生きてろよ!頼むから。
「はぁ、はぁ」
なんとか2人がかりで大野を引き上げて2人揃って息を荒げる。腰を抜かした山田はちっとも使い物にならなかった。くそ、酷く寒い。震える指でトランシーバーに手をやったが、これ壊れてるわ。それを見た小山は俺が連絡を。と連絡してくれた。よかった、これで大野は無事だ。俺は自分で脱ぎ捨てた濡れていない上着を大野にかけてやる。
「大野、もう大丈夫だからな」
ぐったりとして何も言葉を発しないが応援がこれば大丈夫だろう、病院で適切な治療を受ければ大丈夫だろう。……なぁ、そうだろ。大野。―あぁ、にしても酷く寒い。体が震える。思わず座り込む。寒い。寒い。吐く息が白い。上からぱさりと音がして上着をかけられる。小山だ。
「これだと、小山が寒いだろ」
視線を上げて小山の整った顔立ちを見る。
「海藤少佐ってふとした瞬間そうなるからずるいですね」
何故か呆れた笑顔を向けられた、小山はこの顔で独身で飲みに誘っても嫌な顔ひとつせずに付いて来てくれる。けど、俺としてはあまりこいつを誘いたくない。俺が言うのもなんだが酒癖が悪い、上司に対して普段は丁寧なくせに、酒を飲むとタカが外れて下の人間に対するような言動になる上に絡んでくるので非常に面倒くさい。 「山田!何時までも座り込んでねぇでしゃきっとしろ!」
未だにへたり込んでいた山田に小山が蹴りを入れる。…小山が部下でよかった。寒さに震えてポケットの中に手を入れると、水分を吸ってよれよれになった紙に指が触れた。ああ、結局濡らしてしまった。到着した仲間の足音や声が聞こえたところで俺はほっと息を吐いた。


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