駄文

失われた蒼 08 疑惑


お役御免になったからといってじっとしているつもりもなく、まず図書館へと行くことにした。軍が海に潜む者の情報を掴めるとは到底思えない。海から手を出して引きずり込んだという証言がゴミ箱に捨てられた以上自分で探すしかない。俺の見たものの正体を掴みたかった。“人魚”だなんていうものが実際にいるだなんてこと到底信じられないが、寒い中あのドブ海にもぐって人が人を引きずりこんだというほうがもっと信じられない。どちらの可能性もゼロではないけれど、なにか手がかりが掴みたくて図書館だ。滅多なことで行くことはないが、図書館には古海も居る。聞けば何が何処にあるくらい答えてくれるだろう。
ガランとした道を歩いてひとり図書館の扉を潜る。受付にいるお姉さんは俺を一瞥したけれど特に言葉を発しなかった、まぁ図書館なんてこんなものだろう。けど古海は見当たらない、本の整頓でもしているのか?
「ちょっと調べたいことがあるんだけど、人魚について載っている本ってどこにあんの?」
挨拶のないお姉さんに話しかける、誰もいそうにないからごく普通の声の大きさで話したら少し不機嫌な顔をされた。なんで図書館ってそんなに静かにしないといけないのかね。まぁ、騒ぐようなところでもないけど。
「絵本をお探しでしたら子供のコーナーにあります」
絵本、そうだよな。そう思うよな。
「違う違う、なんつーの?伝承?とか、そういう?」
「分りました、案内します」
立ち上がった少し小太りのお姉さんに図書館内を案内してもらう、当然だがどこもかしこも本、本、本、本まみれだ。今回は仕方がないが、あまり来たい場所じゃない。息が詰まりそうだ。こつこつとリノリウムの床を叩く音は俺とお姉さんのふたつしか聞こえない。他の人が東の国の忍者でもなければこの空間には受付の人と俺しかいないのだろう。
「こちらです」
立ち止まって振り返ったお姉さんに「どうも」と礼をして、本を見ることにする。
「えー…」
でもやっぱり何処か違う、伝説の生き物図鑑。表紙には絶対いないだろ、と思われるペガサスとかケンタウルスとかがアニメタッチのイラストで書かれている。他の表紙を見てもそんな感じだ。仕方ない適当に見てみよう、“人魚とはマーメイドとも呼ばれる上半身がヒトで下半身が魚の姿をしている伝説の生き物である”……そんなことは知ってる。“伝説の由来は海に住む他の魚を見間違えたという話が広く流通している”……駄目じゃん。他のをぱらぱらと見てみたがどこもかしこもそんなことしか書いていない。ひとつため息を吐く。何も収穫になってない、いや、でも町のじーさんなんかは昔はよく見たものだ。なんて言っているから実際にいたんじゃねぇの?…いや、思い返せば、あの目は人魚の目撃情報のために夜中に勤務している俺を馬鹿にしていた。
他に手がかりはないから地元の歴史本でも見てみるか。なんだったら60年前の新聞だって読んでやる。そう意気込んだ俺は歴史の本やら新聞からかたっぱしから見てやった(さすがに60年前の新聞はおいてなかった)どこにも人魚の文字などなかった。
「なんっ、なんだよ!!!」
思わず叫んだがそれを咎める利用客はいなかった。
「あの、閉園時間になります」
先ほどの受付のお姉さんが声をかけてきた、俺は「はいよ」と返事をしてひとりで独占していたソファから立ち上がった。そうだ、もしかしたら古海のところに何かあるかもしれない、あいつは本が好きだからここにない本を持ってるかも。
「そいや、古海は今日休みか?ちょっと聞きたいことがあんだけど」
「古海さんのお知りあいでしたか」
少し驚いた顔をされた。まぁあいつと友達というと大体の人には驚かれてきたからこの反応は珍しくない。俺が頷くとお姉さんは言葉を続けた。
「古海さんでしたら怪我でお休みです、足を怪我をしたにもかかわらず杖を突きながら来たんですよ。有給も溜まってるからせめて杖が取れるまで休めって上から言われて、お休みになったんです」
「そうなんだ」
大丈夫か?あいつ。人魚に関する本があるかも聞きたいし。ついでに見舞いでもするか。
「あ、それともうひとつ」
聞いたついでにもうひとつ、気になっていたことを聞いておこう。お姉さんはなんでしょう?と首を傾げた。
「古海に彼女が居るらしいんだけど、どんな子か知っている?」
あまり詮索するべきことでは無いと思うが、夜にしか会えないというのが妙に引っ掛かった。
「いいえ?恋人がいるってことすら初耳です。…そういうの詮索しないほうがいいんじゃないですか?」
素直に首を横に振るった後、怪訝そうな目を向けられた。俺だってわかってるよ。図書館から出るのと同時にお姉さんは「閉園」の看板を立てかけて、さっさとカギをかけてしまった。
見舞いに行くと言いつつも手ぶらで行くのはいつものこと、あいつも俺にそんな期待なんてしていないだろうし。外に出ると少し暗くなっていて風が昼間よりもさらに冷たくなっていた。ポケットに手をつ込んでひとり歩く。古海の家の前まで来ると煩いくらいに扉を叩く。
「ふるうみーいるかー俺だー」
そのおかげで(?)俺が来るとすぐに分るらしい。しかし暫く経っても扉が開く気配がなく、さらにだんだんと叩く、けど来ない。俺は痺れをきらして扉に手をかけて開くと目の前に中途半端な姿勢をした古海がいた。手には松葉杖があって図書館のお姉さんの言っていた通りに怪我をしている、怪我のせいなのか度重なる事件のせいなのか顔色が少し悪くぎょっとした、やつれていると言ってもいい。大丈夫かこいつ。
「よ。図書館の人に怪我したって話聞いた。大丈夫か?」
俺のその言葉に蒼い瞳をぱちくりとさせておどろいた。と声を漏らした。
「海藤がお見舞いに来てくれるとは思わなかった」
「何も持ってないけどな」 その反応に苦笑しながら肩をすくめる。
「でも嬉しいよ、入って」
嬉しいという言葉通りに本当に嬉しそうな笑顔を浮かべて中へと招き入れられた。片方だけ杖をついて歩く古海から杖を奪って変わりに手を貸してやる。このほうが早く歩けるだろう。すると再び目を丸くしたがすぐに微笑んだ。古海がいつも座っているだろう椅子に座らせようとすると、お茶出すよ。なんていいだす、そんなのはいいから座っておけと座らせると何故かにこにこ笑っている。
「海藤が怪我人にこれほど優しいなんて思わなかったよ」
「あのな、さすがに俺も怪我人をこき使おうなんて思ってねぇよ」
俺はどんだけ鬼畜だと思われてんだ。
「お前が怪我すんの珍しいな」
「あー…うん、ちょっと階段で転んでくじいたんだ」
うわ、間抜け。
「今、間抜けだとか思っただろ」
「正解。んでも、大事じゃなくてよかったわ。でも、お前ちゃんとメシ食ってんの?怪我で動きにくくてろくに食べてねーんじゃないの?」
俺のこの言葉に古海の表情に影が差した、けどそれを見せたのは一瞬ですぐに笑顔を浮かべる。
「平気だよ、簡単なものだったらすぐに作れるし」
「そっか」
俺はこれ以上は踏み込まなかった、悩み事にずかずか足をつっ込むような無粋なことはしない。
「それより、図書館の人に話しを聞いたってことは図書館に行ってきたの?」
「あーちょっと調べたいことがあってな。収穫無しだったけど。……で、お前のところに見舞いついでに来てみたんだ。古海んとこ本いっぱいあるだろ?」
古海が苦笑する、これは見舞いがついでだと見抜かれてるな。
「何の本を探してるの?図書館においていないものを買ってるけど、マニアックなものとかないよ?」
いや、前に見たときの医学書とか随分マニアックだろ、一般家庭においてないよ、あれ。
「人魚に関するものを探してる、ってあー。絵本じゃないからな、なんつーの?伝承?でもないな、うーん、とにかく人魚にかかわることを探してんだよ」
「………うーん、ないなぁ」
本を思い出していたのか少し間を空けてから首を横に振るった。だよなぁ、と俺は脱力しながらテーブルに突っ伏す。その拍子でテーブルががたりと揺れて、乗っていたものを下に落としてしまった。
「悪い」
俺は謝りながらも椅子から降りて、テーブル下に転がったものを拾い上げる。薬、痛み止めか?何気なく後ろを見ると薬品名が書いてある、……待て、この名前は知っている、確か「精神安定剤」軽度の患者にも出すっていう珍しくもない薬、なんで知ってるかって。最初に海で死体が上がった時に近くに落ちていたものだ。
そこでぶわああっと俺の頭の中に今までのことが浮かび上がった、「精神安定剤」「人が出歩かない時間に出歩く古海」「足の怪我」…足の怪我は大野が死んだあの日に大野が発砲したものと一致する。だってあいつは「足に怪我させた」って言っていた。そんな、まさか。そんなことがあるわけない。だってこいつは優しくて、人の感情の機微に聡くて、俺の友達で。犯人がこいつだなんてことはありえない。ありえるわけがない、そうだ、だって精神安定剤は一般的に流通しているって言っていたじゃないか、あの時間に古海が出歩いていたのだって事件のことを知らなかったからで、足の怪我は階段でくじいたって言っていた。嘘を吐くわけない。違う、違う。違う、犯人じゃない。人を殺しておいて平然と笑っていられるような神経を持っていない、じゃあなんでやつれてんだ?いや、だからそれは事件を聞いて、うん。そう、ちょっとナーバスになってんだよ、だから精神安定剤があんだよ。だから、古海は犯人じゃない。
「海藤?どうかした」
「あ、や、なんでもない。んーでもなぁ、お前んとこにないってなると他にアテねーなぁ」
なんでもないように装いながらも顔に笑顔を貼り付けた、薬はなんとなくポケットの中につっ込んだ。
その後古海とは適当な話をした、俺が調合金MAXと名づけようとした猫の名前は結局サムとかなんの変哲もない名前になったらしい。理由はテレビに出ていたサムという人がハンサムだったからと奥さんがその名前で決めてしまったらしい。晩飯をご馳走する、と古海は言ってくれたが俺はそれを怪我してるから、無理させられない。とか適当なことを言って家を出た。
それに食欲はなかった。古海が犯人ではない、と心で唱えるたびにもしかしたら犯人かもしれない、という思考が払拭できず友人を疑っている自分に嫌気をさした。最悪だった。なんでもないように笑えていたかも分らない。煙草を吸いたい。ポケットの中に入っているぐしゃぐしゃになった箱を出すと、空だった。なんだよ、それ。帰り道に煙草を買って帰ろうとしたものの小銭がなくて断念、最悪すぎんだろ。家に戻ったら乱雑に脱ぎ散らかした服に足を引っ掛けて転んだ。

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