駄文

失われた蒼 09 犯人


暗闇のなかカチコチと時計の針が進む音がする。食欲が失せて何も食べていないくせに胸がムカムカして気持ちが悪い。布団の上で寝返りを打つ。もう1度寝返り。カチコチ、カチコチ、カチコチ………
「だあああああああああああっ!!!」
叫び声をあげて起き上がる、止めた止めた止めた!!考えたってこのムカムカは収まるわけでもない!!気がかりが消えるわけじゃない!!だったら!この原因をぶっ潰せばいいだけだろ!で、俺の思い過ごしならそれでいいじゃねぇか!そしたら、疑ってごめんネで澄むだろうが!!床に散らばった上着を着込んで外に出る、冷たい風が頬に当たって痛いくらいだ。通りに出ると軍服を来た小山と山田の山山コンビが歩いていた。ここで見つかると面倒なことになりそうなので物陰に隠れる。
「くそ、くそがっ!なんで、毎日、テメェと顔つきあわせなきゃいけねーんだよ!!」
うわぁ、相変わらず下には口わりぃな小山。
「や、あの。すみません」
しかもなんで山田、いちいち謝ってんだよ。こっちもだ、とか言ってやればいいのに、あいつよくあれで軍辞めないなぁ。
「そこで謝んなよ!余計、イライラすんだろうが!!しっかも、海藤少佐が休むとか!!もう最悪すぎる!!」
「…少佐がいてもいつも見てくれるわけではないですよ」
「うっせ!今はこんな窓際部署だが、少佐に取り入って、気に入られて、父親に紹介されて!俺は昇進する!なのに休み。そんなところで仕事している意味なんてない…」
とたんにぐずぐずと泣き出す小山、えぇぇぇーなに。あの部下、情緒不安定すぎない?大丈夫なの?隣で山田がおろおろしている。つうか小山、俺のこと出世の道具だと思っていたの?どうりで酒に誘っても嫌な顔ひとつせずに付いて来るわけだ。俺も泣きたい。
「傷心中の少佐を慰めているふりをしつつ、さりげなく俺の昇進の話にすり替えたい」
「さすがの少佐もそこまで馬鹿じゃないと思いますよ」
「あぁ?テメエは俺に説教でもする気かぁ?殺すぞ」
その言葉にまた山田がおろおろし始める。この会話俺聞きたくなかったわ。聞かなかった時間に戻りたい。ふたりの声が聞こえなくなるまで俺はひとりで頭を抱えていた。次に会う時に距離をとろう。飲みに誘うのは小山は止めて山田にしよう。俺のなかでひとつ決意をつけてから、ふたりがいなくなったのを確認してから通りに出る。
目指すのは寄ったばかりの古海の家だったのだが、その前にきょろきょろと辺りを見回している古海を発見した。おい、なんで家で大人しくしてないんだ!!すぐに目の前に出て行って家でじっとしてろ!!と言ってやりたくなったがぐっと押さえ込んだ。古海は軍の人間に見つからないようにしているのかにこそこそしながら移動している。古海が犯人だと思いたくない、ここではたと気づいた。
古海が犯人であるわけがない。大野に撃たれたのが古海だとしてもその後に海に入り大野を引きずり込んだというのは考えにくい。そもそもあんなドブ海に人間が長時間入っていられるわけがない―となると、他の可能性としては「犯人をかばっている」…ありえる…か?犯人を知っているがその犯人が知り合い、もしくは脅されている?他人にバラしたら殺すとか。だけど今まで何人もの人間を殺害してきた犯人が古海だけ脅すというのもおかしな話だ。
古海が犯人に同情しているのか…?頭の中で考えても埒が明かず、こそこそと身を隠しながら歩みを続ける古海の後ろを同じようにこそこそしながら続いた。毎日同じ道を歩いてきたので途中からまさかと思い始めたが、それがやっぱりに変わった。着いたのはいつもの海だった。なにかあった時にすぐに犯人を撃てるようにと銃に手を伸ばしたけど、俺の手は空を掴んだ。やべ、寝巻きだった。銃どころか警棒すら持っていない。馬鹿か。壁にどんと手を打ち付けた。
その間も古海は足を進めていて、海の目の前までくるとポケットから何かを取り出して、ぽちゃん、ぽちゃん、ぽちゃん、と3回に分けて水面に落とした、俺が集中していたのでよく聞こえただけかもしれないが、しんと静まった夜にはその音が少し大きく響いた。何やってるんだ?あいつ?息をひそめているとさっきより大きな音がしてそれは現れた。
何かあったらすぐに駆けつけて助けてやろうと思っていた体が硬直する。だって、そんなの、信じられるわけがない。水面から顔を出したのは、女の子。女性というのはまだあどけなく、少女というには大人びた。遠目からではよくわからないが肌色に混じって緑色の苔のようなものがあるように視える。目を細めてさらによく見ようとしてみたが駄目だった。街頭の灯りでは限界がある。ふたりは何かを話している様子だったがここからでは声は届かない、どんな会話をしているのか分らない。
少しの間ふたりは何事かを話していたが女の子は海の中に潜り、古海は会話するために折っていた膝を正した。そのまますぐに戻ってくるのかと思ったが、古海はじっと真っ暗な水面を見下ろしたまましばらく動かなかった、しばらくそうしていたかと思えば、こちらに歩き出す、俺はふぅと息を吐いた。人魚の目撃情報、海で見つかる遺体、海へ引きずりこまれた大野。古海はきっと全てを知っている。見て見なかったふりなど出来ない。今まで殺してきた足音を響かせて、こつりと。
「よっ」
なんてことないように、手を上げた。
「海藤」
古海は分りやすく青ざめていた。
古海を追って来た道を今度はふたりで歩く、今度は隠れず堂々と。たとえ山山コンビに見つかったとしても寝付けなくてぶらぶらしていたら友人に会ったで済ませてくれると思う。伊達に何年と上司やってない。けど俺のそんな思いをよそに誰とも会わない。
「僕を、逮捕するの?」
静寂の中ぽつりと零されたその言葉。
「なんで」
「………犯人、の、隠匿の罪で」
苦しげに紡がれるその言葉に納得する。大勢の人間を殺しやがって、大野の命を奪いやがって。とかそういった怒りの感情は沸いて来ずただ納得した。許しはしないけど。
「話を聞かせてくれ」
何時になく真剣な表情で古海を見据えれば、泣きそうな顔で頷いた。

俺の部屋のほうが近かったので俺の部屋で話してもよかったが、ごみ屋敷同然の部屋で真剣な話をする気持ちが萎える。それに古海にすすめる椅子だってない。来た道を戻り、見慣れた古海の家へとたどり着く。ここへ来るといつも歓迎した顔で出迎えてくれるのに今は青ざめたまま。道中足が痛むのか顔をしかめて少しふらついた、支えようと手を伸ばしたけれど古海はそれを払いのけることはしなかったけれど受け取ることはせず定位置へと腰を下ろした。俺はため息をつく、そこまでかたくなにならなくてもいいのに。俺は何も言わずに目の前に座る古海をじっと見つめた。しばらく古海は黙っていたけれど決意したかのように俺の目をしっかりと見据えた。真面目な話が苦手な俺だってきちんと聞かなければいけないときはある。そして古海は話し始めた。

彼女と会ったのは2年前、人魚が出ると図書館の上司に聞かされてからだった。俺が任務に尽き始めたのは3ヶ月前、そう考えると随分とブランクがある。噂を聞いた古海は海へ足を向けたのだという。会えるとは思っていなかった。ちょっとした好奇心、ちょっとした暇潰し。だけれど、古海は見つけた、とどかない月の光の下で苦しげに息を荒げさせて涙を零している彼女を。上半身しか出ていないので不幸にも海へと落ちてしまった人間だということも考えられたのだが古海は何故か確信していた、この目の前にいる彼女こそ人魚なのだと。
「大丈夫?」
声をかけると彼女は射殺さんとばかりの鋭い視線で古海を睨みつけた、人間に対する怯えは見えずにただ憎悪だけが瞳に宿っていて、それを見た古海は涙した。当然の感情に思えた、海を汚し、自分達の住んでいた場所が侵された。彼女は人を怨む権利がある。ごめん、頭を下げてぼろぼろと涙する古海に彼女の瞳から憎悪が消えて不信感を顕にした。そのまま頭を下げていると、彼女はいなくなっていた。-それから古海は苦しげにしていた彼女のことを気にかけて毎夜海へと足を運ぶようになった。初めは出てこなかった人魚だったが、毎日通ってくる古海に呆れて顔を出すようになった。
会話を重ねていくにつれて彼女から警戒は消え、それどころか親密な仲になっていき“恋人”というくくりに納まるのも当然の流れのようだった。けれど日を追うごとに彼女の体調は悪くなっていく、息が苦しくなり、記憶が抜けることもしばしば、古海の前で豹変し海へと引きずり落とされそうになったこともあったという。そんな彼女をなんとかしようと、人間の薬を渡したのだが芳しくはなかった。そして、最悪の事態が起こってしまう。女性の遺体が海から発見された。これを聞いたときにもしかしたら、と思った。けれど、古海が薬を渡しに行ったときにはいつもの彼女だったのでそんなことがあるわけがないと首を横に振った。けれどそれは一度では終わらなかった。でも彼女を信じていたかった。男女2人組みの遺体が上がっても彼女が犯人というということを信じず、同じように彼女に接した。けれどその思いも打ち砕かれてしまう、一度として彼女が人を殺す現場を見たわけではない、けれど海藤の部下大野が殺害されたときに彼女が言ったのだ。
「軍人を殺さないと、あなたが捕まってしまうと思ったから」
泣き出す彼女に古海は確信してしまう。今までの殺害もすべて彼女が行ったと。知りたくなかった、信じていたかった。でも、もう彼女は壊れかけていて何か正しくて、何が間違っているのか、何がよいことで、何が悪い事なのか。そういったことも曖昧になっていた。軍に突き出すことも出来たかもしれないけれど、古海はそれが出来なかった。どんなことになってしまっても、どんな姿になってしまっても。真っ直ぐに瞳を見て好きだと言ってくれる彼女のことが好きだったから。
「でも、いよいよ見つかってしまった。ねぇ、海藤。彼女は病気なんだ、本当は人だって殺したくなかった、だけど。あの海が彼女をおかしくしたんだ。家族は海が汚染されて死んでしまって、仲間も同じように狂っていった、共食いをするものもいたし、自らの体を食べ始めた人もいた。彼女はいずれおかしくなる、って苦しんでいた。泣いていた。怪物だと言って人の前に出すことはしたくない。お願い、海藤。君の力で彼女を保護してもらえないかな、海水だって作れるだろうし、彼女の病気を治して、その後に彼女の罪を伝えて償ってもらえればいいと思ってる。やったことは許されることじゃない、けど、だけれど、病気だったんだ。海藤、お願いだよ、僕はどうなってもいいから。捕まってもいいから、彼女を助けてよ」
お願いします、とこれでもかと頭を下げてぼろぼろと泣き出す古海を見て胸が痛くなる。それほどにまで彼女のことを思っていたのか。犯人だと分ってもそれを他人に気づかせないように笑っていたのか。古海を助けてやりたい。とは思う。けど、だけど。俺は顔を伏せ。次に顔を上げたときには何の感情も顔に乗せなかった。
「分った」
驚いたように俺を見る古海に今度は笑顔を浮かべてみせる。
「心配するなって、俺は権力者の息子だぜ?特権使いまくってやるよ、おまえ自身のことも心配するな」
呆然とこちらを見ていた古海の瞳に新しい涙が浮かんで頬を伝った。
「ありがとう、ありがとう、海藤」
頭を下げて感謝する、立ち上がって心配するなと肩を叩いてやる。俺の顔はもう笑顔を浮かべれなく泣きそうだったけど下を向いている古海からは見えないはずだ。ありがとう、と何度も感謝する古海から人魚の呼び出しの合図を教えてもらう。ドブ海から地上を見るのは難しい、夜ならなおさらだ。だからいつも合図を決めて会っていたのだという。
最後にもう一度古海に何も心配するなと声をかけて家を出た。外の風は冷たくて体が震える、あぁ、本当に体の震えが収まらない。

next 

inserted by FC2 system