駄文

失われた蒼 10 海


次の日、休養が終わっていないにも関わらず俺は朝から本部へと赴いた。普段ならば自分の雑務係の部屋へと行くのだが今日の目的はそうじゃない、一応軍服を着て来たが顔を隠せるわけではないので俺がいることを不思議そうに見た人が何人か、気を遣ったように挨拶をしてきたものも何人かいた。それらに適当に答えながら俺が赴いた場所は、内海の居る海上課。ずんずんと入っていくと物珍しげにこちらを見る視線。
「内海」
ポケットに手をつっ込んで内海を呼ぶと自ずと声が低くなった、びくりと何人か肩を震わせた人がいたが別に喧嘩しに来たわけではない、怪訝そうに見上げる内海。お前まだ休暇中じゃないのか?なんて視線で訴えてきた。
「話がある顔貸せ」
俺の言葉に内海は深くため息を吐いた、俺はお前より年上なんだが。なんて言いながらも頭をぼりぼりと掻きつつ立ち上がってくれる。なんだかんだで優しいやつだ、ちょっと出てくると部屋に残っている部下に声をかけると俺の後ろを追って部屋を出た。
残された部屋から「喧嘩?」「なんか、海藤中佐いつになくおっかなかった!」なんて声が聞こえてきた。普段だったら聞こえてるぞーなんて言ってやるのだが今はそんな余裕はない。使われていない会議室に内海を連れてくることに成功した俺はポケットから煙草を取り出して咥え、火をつける。吸うか?と1本差し出したが内海は断った。付き合い悪いなぁ。紫煙を吐き出すと内海がこちらを見る。
「話があるんじゃなかったのか?」
「あーうん、あるある、すっげぇある」
いつもなら美味いと感じる煙も今は無機質で味がしない。椅子を引いてどかりと乱暴に座った。
「犯人分った」
「は……はぁっ!?!?」
突然の言葉に内海は呆けたがすぐに声を荒げる、うるっせ。耳を塞ぐ。
「お前、海から手が出てきて引きずり込んだとか言わなかったか?言ったよな。なのにそれからどうしてそうなった!?」
いちいち大きな声出すなよ。お前のママがそれを許しても俺は許さないんだからな。
「内海、うるさい、声落とせ」
「は?いや、いや、っ。どうあがいても驚きしかないだろ」
すぅっと煙草を吸い込み、じじじと赤く燃えていく。はぁ、と吐き出している間も内海は混乱した様子でこちらを見ている。灰皿に灰を落とす。
「犯人を知っている奴が喋った。……内海、船を出してくれ」
俺の言葉に内海はぽかんとした。
月明かりの届かない暗い道をひとり歩く、手には拾った石がみっつ。零す息は白い。あぁ、寒い、体が震える。心まで寒くなっていく。毎日のように通っていたドブ海の前に出た、黒々と広がる海は何の感動も与えない、昼間に見たところで黒く澱んだものがあるだけだ。手袋をしているにも関わらず手がかじかんでうまく動かない。
冷たい空気を吸い込んで、温かく湿った息を吐き出して、手を海上へ。ひとつ、ふたつ、みっつ、石を落としていく、ぽちゃん、ぽちゃん、ぽちゃん、音がして水面に波紋を作る、しばしの静寂ののちのぼこぼこと音を鳴らしてひとりの女の子が顔を出した。青く煌く瞳、青く透き通る髪、真っ白だったはずの肌には緑の苔のようなものが付着している、にも関わらず彼女の顔立ちが美しいということが分かる。愛おしい人に会えるのだと浮かべていたはずの笑顔が凍りつく。
「ごめん」
呟いた言葉は届かない、カッ、カッ、カッ、と真っ黒な海にぐるりと彼女を取り囲むように現れたいくつもの船の灯りがか弱い女の子の姿をくっきりと映し出す。驚きに染まったその顔ですら美しかった。
「発射!!」
用意されていた銃から何発も何発も放たれる轟音。彼女の顔から血の気が引き海の中へと潜る、その時に人間ではありえない魚の尾ひれが見えて「化け物」「怪物」「怪物」「気持ち悪い」悲鳴がいくつも上がる、止まない銃声。
「ごめん」
「ごめん」
「ごめんな」
涙が伝って落ちる、それは彼女に向けた言葉じゃない。仲間を殺した彼女を思って泣けるほど俺は善人じゃない。聞こえないと分っていても言葉が零れてきた。
この計画を内海に伝えたのは俺だった。古海に教えてもらった方法で人魚を海面へと連れ出し、その間気づかれないように船で取り囲む、逃げられないように魚を獲るための網を海底まで下ろし包囲網を作る。そして海上へと出てきた彼女に向けて一斉射殺。犯人が人間でない時点で捕らえて裁くことは不可能、野放しにしておけば被害者は増える。古海が言っていた保護をして、正気を戻して、罪を自覚し償ってもらう。なんてことは到底無理だ。軍内部でも彼女の存在は気味悪がられるだろうし仲間を殺害されたのだ、到底許せるはずもない。人を殺害した怪物のために税金など使えるわけがない。上に掛け合ったとしても無理、最悪何かの実験台として殺害される。
全ての弾を使い切ると網が引き上げられた、その姿に何人もが悲鳴を上げる、人間にはありえない。魚の尾。身に受けた幾つもの銃痕。腕はドブ海のせいで焼け骨が見えている。魚の尾も焼け爛れ酷い有様だ。
「―……遺体は、どうしますか」
未知の怪物を見た恐怖で喉が張り付くような違和感を覚えながらもなんとか言葉を発した男が上司である内海を見る。
「海へ投げ捨てろ。住民に余計な心配を与える必要はない」
たとえ怪物が犯人だと伝えても住民は信じないだろう、もし信じたとして、まだ同じ怪物が海の中にいるのかもしれないという新たな恐怖を産むだけ。だったらこれは内密に処分したほうがいい。人魚はゴミのように海へと打ち捨てられた。哀れむものは海上には存在していなかった。
次の日の新聞に「犯人ついに逮捕」と嘘八百の文字が躍っていた、誰もが安堵の息を吐いた。これで安心して夜も出かけられると。
「海藤、彼女は?」
紙面の文字から顔を上げて古海は俺を見た、未だに休養中の俺はこれで安心だと古海宅に新聞を持ち込んだけどいちいち持ち込まなくたって同じ新聞があった。
「軍に連れてくることは出来なかった」
古海は静かにそれを聞く、新聞を持つ手が震えている。それを見ないフリをして言葉を続ける。
「やっぱり、水槽の施設は難しかったみたいで。それに、やっぱり仲間を亡くしている。だから、国外追放?っていうの?この国じゃない場所にまだ汚染されてない海がある、なんかそこだとまだ人魚ってのは当たり前にいるみたいで。綺麗な海なら病気も治るかもしれなくもない、みたいなこと聞いたからさ。この国に二度と戻ってこないっていうのを条件に、他国へ連れて行った」
笑えているだろうか、嘘を吐き通せているだろうか、矛盾はないだろうか、疑われてはいないだろうか、声が震えていないだろうか。
「そう」
俺の心配をよそに古海は静かに顔を伏せた。
「やっぱり、会えないのはつらい。なぁ」
ぽろぽろと泣き出す古海に俺は声をかけられなかった、とても綺麗な涙だった。同時に俺は告げた言葉が正解だったのだと気づく、本当のことを言わないでよかった。
それなのに、罪悪感で潰れてしまいそうだ。これ以上この部屋にいるのもつらくて早々に部屋から立ち去る。古海は引き止めようとはしなかった。外は相変わらず寒い、昼間だというのに寒い。体が震える。酒でも飲んで帰るか、そんな思いとは裏腹に俺は自分の家へと足を進めた、部屋はあいかわらずとっちらかっていて足の踏み場がない、足で服を押しのけながらベッドの上でごろりと横になる。なんかもう、疲れた。すごく疲れた。何も考えたくない。自分でやったことなのに、自分で伝えたことなのに、胸が苦しくて苦しくてたまらない。大野の仇はとった、それでいいじゃないか、町に平和が戻った、それでいいじゃないか、古海は俺の嘘を信じてくれた、それでいいじゃないか。だけど、友人を裏切り大切な人を奪ったのだ。
「ごめん」
何度目か分らぬ言葉を口にする。

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