駄文

鏡の国の 07 さんにん


家族揃っての夕飯の時間、その間にもありすは鏡のありすは鏡のありすのことばかり考えていた。ぼんやりとした頭のままコーンスープを口に含む。
「ありす。最近学校で変な人を見なかった?」
「え?」
突然話を振られて、ごくんとスープを飲み込んでから母親に視線を向ける、熱い液体が喉を通っていくのを感じた。
「学校で聞いているかもしれないけれど、最近動物が居なくなっているらしいの。学校の飼育小屋にいたうさぎとか、ありすの教室で飼っていた金魚もいなくなったって。…それに、通学路でねこの死体が見つかったとも聞いたわ。ご近所のわんちゃんも何処かに行ってしまったって」
鏡の中はとても賑やかになっていく一方、こちらの世界の動物たちはどんどん動かなくなっていった、動かそうとしたけれど、鏡の国に行ってしまった子たちはこちらの世界には帰ってこられないみたい。でも通学路におきてきたりなんかしていない、ねこも、うさぎも、金魚も、犬も、鏡の国に行った。
「そんな話、ありすにするんじゃない」
鏡の国に行ったんだよありすは喉元まで言葉が出かかったのだけれど、父親の言葉でもう一度口に含んだコーンスープと共に飲み込まれた。
「でも。もし何かあったらって心配にならないの?」
「心配さ。もちろん。でもそんな怖い話をする必要はないだろう、ありすはまだ9歳なんだ」
「そんなことを言って、もしありすに何かがあったらどうするの」
「知らない人についていくほどありすは幼くない」
「まだ幼いから話すなって言ったのはあなたでしょう」
二人で言い合いを始めてしまった、ありすは父親のことも母親のことも好きだけれど言い争っているふたりは好きじゃない、器に口を付けてコーンスープを一気に飲み干した。
「ごちそうさまでした」
食べ終わった食器をひとつにまとめて流し台におくと、階段を上って鏡の部屋へと向かう。鏡のありすはたくさんの動物に囲まれているのに、どこか淋しそうに犬を撫でている。
「ありす、どうしたの?元気ないね」
ありすが近づくと鏡のありすは、一瞬嬉しそうに笑ったのだけれどすぐにその顔が曇ってしまう。
「あのね、ありすがたくさんの動物を連れてきてくれるのは嬉しいの。でも、やっぱり話相手が欲しいの。淋しいのよ…あたしめありと遊んでみたい」
ありすが鏡のありすに話しかけているということを知ってから、めありとはほとんど一言も口を聞かないようになってしまっていた。鏡のありすはもともとめありと遊ぶことには消極的だったはずなのに、今更なんでそんなことを言い出すのかありすには分らなくて表情を曇らせた。
「…めありはもう友達だと思ってないよ」
ありすももうめありのことを友達だとは呼べない。あんなに友達だと思っていたのに、めありはありすの友達である鏡のありすを否定したのだ、鏡のありすもありすだという。
「鏡の国に連れてこればいいわ。この世界ならみんな仲良しになれるのよ」
ねぇ、 わかるでしょう、 ありす。
鏡のありすが言うことはわかった。けれどそれは動物を捕まえるよりも、とても難しいことのように思う、だってもうありすとめありは友達じゃない、だからありすから今日一緒にあそぼうと声をかけたところでめありがそれに頷いてくれるとは思えない。だからどうすればいいのか分からない。
「大丈夫、ありすが仲直りしたいって声をかければきっと」
にこりと鏡のありすが笑った、鏡のありすが言うのなら本当にそんなような気がしてきた。それに鏡のありすならばありすが少し失敗したとしてもありすのことを否定しないはず。鏡のありすはきっと許してくれる、だからきっと、大丈夫。
「うん」

****************

けれど次の日めありを前にするとどきどきと心臓が嫌な音を立てた。もし断られたらどうしよう、声をかけたら気持ち悪いと思われるかもしれない、ありすにとっては鏡のありすと話すことはごく自然なことだったけれど、ありすのことを気味悪がる人が多く居た。だからこうしてめありに話しかけるということにはとても勇気がいる。
「あの、めありちゃん」
どきどきする心臓を押さえながらめありに話しかける。変に声が裏返ったけれど今更取り消すことは出来ない。最近は鏡のありすのおかげでうさぎのぬいぐるみを抱きしめることがなくなっていたけれど、ありすはうさぎのぬいぐるみを抱きしめたくなった。
「………なに?ありすちゃん?」
ありすが声をかけたことに驚いて、めありは返事を返してくれたけれど久々に話すありすにどう話せばいいのか分からないという風だった。めありが謝ってくれたのに、それを受け入れることが出来ずにめありを避けていたのはありすでこんなふうに話しかける資格なんてないのは分かっている、それでもめありが返事をしてくれた。ほっとして言葉をつなげる。
「え、と、…めありちゃんと仲直りがしたいなって」
また一緒に遊びたいから、今度は3人で遊びたいから、3人ならきっと、もっと楽しくなるはずだから。
でもめありは承諾してくれるだろうか、もう友達じゃないから仲直りなんて出来ないと言われてしまうかもしれない。
めありはなかなか返事を返してくれない、ありすの心臓はどきどきと脈打った。今の嘘!!そういって何処かに行ってしまいたい衝動にかられたけれど、そんなことを言ってしまったらもう二度と仲直りできなくなってしまう。
「うん、ありすちゃん、わたしもありすちゃんと仲直りがしたい」
めありがありすに返したのは笑った顔だった。ありすはほっとした、これで3人で遊ぶことが出来る。これから自分のやろうとしていることに緊張したけれど、これは3人で遊ぶための試練なのだからと自分に言い聞かせる、鏡の国に行くために動けなくする方法は鏡のありすが教えてくれた。
「ねえ、めありちゃん。放課後一緒に遊ぼう」
「うん!」
突然の申し出にめありは驚いたけれど、ありすの言葉に嬉しそうに頷いた。鏡の中に友達がいるなんてことは到底信じられないし、あの大きな鏡の部屋は好きじゃない。あの部屋はなんだかひたひたと冷たくて、得体のしれないものを感じた。
そんな鏡に向かって、自分しか写っていない鏡に向かって話しかけていたありすを見た時には鳥肌が立ったけれどうしてありすが謝って、仲直りしたいと言ってくれたということはありすはきっと鏡の中に映っているのが自分だと認識したのだろうとめありはそう思っていた。
ありすは放課後になるとめありと一緒に鬼ごっこをすることにした。ありすの家に帰る途中にあるひとっこひとり通らないような森の中、鬼ごっこをするのならもっとたくさんでやったほうが楽しいんじゃないかというめありの提案を、それでもふたりでやりたいと強く言うと、めありはありすがそういうのならと承諾してくれた。

たった2人きりの鬼ごっこ、鬼はありす。これはただの鬼ごっこじゃない、けれどもそんなことは知る由もないめありは10秒数えるありすから逃げ切ろうと走り出す、でもあまり遠くに逃げすぎてもありすが自分を見つけれなくなってしまうとそこそこ離れた場所で足を止める。
「じゅーぅっ!!」
10数え終えたありすは、ランドセルのなかから必要なものを取り出した。待っててね、ありす。心のなかで呟いて走り出す。めありからありすの居る場所は見えたのだが、ありすの場所からはめありが見えなかったらしく反対のほうへと走り出していた
。 その時めありがきらりと光る物体を見た。ここでは使うはずの無いもの、ありすの小さな手には不似合いなもの、なんでだろう?どうしてそんなものを持っているのだろう。
「ありすちゃん」
思わず声をかけてしまった、くるりとありすがこちらを振り向いた彼女の目をみてぞっとした。
その目は異様にぎらぎらとし、口元は歪に歪んでいる。あれはとうてい人間のする表情ではない、どうして、どうして、こんな怖い顔をしているの。めありは続けようとした言葉がうまく出てこなくて口をぱくぱくとさせる、心臓が煩くて背中には嫌な汗が伝っていく、ようやく言葉を発す。
「……その手にもっているものはなあに?」
それがなにかは知っている、けれど今ここで必要になるはずのものではない、あれは台所で見るべきもの、そこでしか見る必要がないはずのもの。
「包丁だよ」
なんてことのないように、まるで今日の天気は晴れだというかのように当然のことを話すような口調だった。
「ど、うして…そんなものをもっているの?」
聞きたいのはそれだ、それがなにかなんてことはめありだって十分分りきっているのだから。
「めありと仲直りするために必要なんだよ」
意味が分からない。
「それがなくても、わたしたちもう仲直りしたじゃない」
したはず。めありはありすを許してありすだってめありを許した。あの鏡のことは間違いだって気づいたはずなのに。
「ううん、駄目。だって、こうしないとめありとあたしと、鏡のありすは一緒に遊べないもの」
ありすの言葉でめありははっとした、ありすは鏡のことは間違いだって気づいていたのではない。もっと悪化している。めありは10歳になったばかりの少女が感じるはずも無い殺気というものを肌にびしびしと感じていた。
「だから、みんなで遊ぶために。うごくのをやめてよ、めあり」
ありすはにっこりととても綺麗に微笑んだ、めありは鬼から逃げるために必死で駆けだした。
「はあ、はあ」
息を切らしながらめありは森の中を走っていた、もともと運動の得意ではないめありの足はもう限界で今にも足を止めてしまいたかった、けれどそれはできない。足をとめてしまったらきっと、
「みーつけたっ」
場にそぐわぬ明るい声が聞こえ、めありはびくりと身体をすくませた。ありすは満面の笑みを浮かべて包丁を握っている、おかしい、初めて会った時は大人しい子だとは思ったけれども、こんな突拍子のないようなことをする子ではなかったのに、仲良くなれると思っていたのに。 どうしてこんなことになったのか。違う、今はそんなことはどうでもいい、とにかく逃げなくては、逃げなくては、逃げなくては。けれどめありの足はがくがくと震えてしまいこの場から動くことは出来ない。
「めありちゃん、つかまえたっ!」
ありすはそれはそれは嬉しそうな顔をしてめありに抱きついた。刃がゆっくりと肉に沈んだ。
「3人で一緒に遊ぼう」
本当ならばめありの身体全部を家に持って帰ってあげたかったけど、同じ身長の女の子を運ぶというのはありすには到底無理な話だった、仕方なく持っていた包丁で分割することにした。なかなか切れなくてぎこぎこしたり、上から振り下ろしたりしてなんとか首を外すことが出来た。
めありの表情は恐怖で固まってしまっていたから目だけは閉じてあげることにした。でもきっと鏡の国に行けば笑ってくれる。分けている間、いっぱい赤い液体が溢れてきて手を汚してしまったけれど、今は3人で一緒に遊べることが嬉しくてそんなことなにも気にならなかった。一部分でも持って帰れば、きっと鏡の国は不思議な力で治してくれる。
幸運にも家までの道のりは誰とも会うことなく着くことができた、母親は買い物に行っているらしく留守だった、合鍵で家の中に入り手を洗ってからありすのところへと行くべきなのだけれど、嬉しくて嬉しくて、すぐに鏡の部屋へと向かう。
「ありす!ありす!!」
鏡に向かってありすは話しかけた。
「どうしたの?ありす」
興奮したありすの声をよそに鏡のありすは眠たそうな声をよこした、寝起きなのかもしれない。
「めありをつれてきたの!一緒に遊びましょう」
めありの首を持ってありすは微笑んだ、今もなお切断面からは血が伝って、ありすの腕を汚し、床を汚していた。
「本当につれてきてくれたのね、嬉しいわ」
鏡のありすも嬉しそうに笑ってくれて、ありすはますます嬉しくなった。


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