駄文

幸福なものたち 幸福な子ども 01


村の朝は早く太陽が昇れば人の声が外から聞こえてくる。各家に調理場がないこの村では中央に唯一の調理場があり当番制で食事の準備が回ってくる。朝からパンを捏ね初めて、朝食分の野菜は朝獲れのものを使う。フェリチタが昨夜当番だと言っていたのも早朝の野菜収穫のことだ。この日は母親は調理当番で父親は一緒に野菜畑。
「おとうさん、肩車」
家から出るとフェリチタは両手を父親に向けて広げた。
「はは、8歳になるのにフェリチタは甘えん坊だなぁ」
「いいの、まだ子どもなの」
父親の言葉にちょっとむくれる、フェリチタにそういいながらも彼女の脇の下に手を入れて持ち上げた。8歳にしてはふくよかなもちもちとした体形は軽いものでは無かったが、普段力仕事をしている彼にとって娘のささやかな願いを聞いてやることは造作もない。
とたんにフェリチタの視界が高くなる、自分がいつも見ている景色とはまるでちがう世界。視界が開けたような爽快な気分。空が近くなり左手で父親に掴まりながら右手を青空へと向けた。きらりとしたいい天気。
「ちゃんとつかまってろよ」
父親は言うなり走り始める、高い位置でゆられながらフェリチタは「早い、早い」ときゃっきゃ笑った。
「転ばないように気をつけてね!」
「大丈夫」
妻に返事をした傍から躓いて、慌ててフェリチタを抱えなおした。彼女は呆れ顔をしていたが、フェリチタは目を丸くしたあと楽しそうに笑った。

野菜畑に到着すると、同じ当番の子どもが先に来ているのに気づいてフェリチタは父親に肩から降ろすように頼んだ。土の地面に着地してふたりに駆け寄っていく。
「おはよう。アンナ、ルーカス」
12歳のアンナは赤い茶色の髪はゆるく三つ編みにし日よけの帽子を被っていた。ルーカスはフェリチタと同じ8歳になるが、まだ眠いのかごしごしと目を擦り所作のせいかそれ以上に幼く見えた。
「おはようフェリチタ、おはようございますフェリチタのおとうさん」
「はよー」
「おはよう。フェリチタをよろしくな」
「もちろんです」
明るく返事を返すアンナに対してルーカスはもごもご挨拶を口にした。フェリチタの父親は彼女の頭を撫でてから、自分の持ち場へと向かいながら村の人たちに挨拶していた。
野菜畑には様々な野菜が植わっていて、それぞれの当番が収穫を進めていた。トマト、なす、トウモロコシ、夏はフェリチタの大好きな野菜ばかりだ。
「3人とも、この籠いっぱいに入れてくれよ」
男性が3人でひとつの籠を渡す。ルーカスが受け取ろうとしてうっかり落とし、アンナはぼやきながらそれを拾い上げた。
「もう。なにやってるの」
落ちた籠をアンナが拾い上げる。
「しょうがないだろ。眠いんだ」
頬を膨らませたルーカスにアンナはやれやれと首を振るう
「昨日、夜更かししたんでしょう?おばさんに聞いたよ。寝る間際になって眠くないって外を走り回ったって」
「だって眠くなかったんだよ」
「だってじゃない。ほら、籠の片方持って」
大きな籠を両手に抱えてルーカスに片方を持つように促したが、ルーカスは不機嫌そうだ。
「ちゃんと仕事する。ちゃんとやらないと、おばさんに言いつけるからね!」
ぴしゃりとアンナが言うとルーカスは不機嫌な顔をますます顰めた。
「わかったよ、ちゃんとやるよ。………未来のお嫁さんがアンナなんていやだよ」
「き、こ、え、て、る!!」
「ごめん、ごめんなさい!」
ぐいぐいと年下の耳を引っ張っているアンナと引っ張られているルーカスをフェリチタはくすくす笑ってしまう。この壁に囲まれた小さな村では幼いときから結婚する相手が決まる、それが当然のことであるから誰もそれを疑問に思ったことはない。今は姉弟のような関係性だが将来はいい夫婦になれるだろう。だけれど、フェリチタに相手はいない、彼女が幸福な子どもだからだ。
村人が直接的に特別扱いをすることはないが、幸福な子どもは偉い人達から家族だけが住まうことの出来る家の鍵を贈呈される。その家は魔法のかかった家だと村人はいう、蛇口なるものを捻れば水が出て、村では貴重な風呂まで入れる。しかも出てくる水が温かい。どういう仕組みになっているのか村人にはわからず。偉い人が使える魔法の類だと村人は考えている。
壁の外にはこの村からは想像の出来ない世界が広がっているのだそう、一度でいいから行ってみたい。というのはこの狭い村しか知らない村人が誰しも思うことであり羨望の対象。痛みも苦しみもなく、幸せだけが存在している場所。
「よぉし、籠の中をいっぱいにしよう」
籠の片方をルーカスに持たせることに成功したアンナはフェリチタに笑いかけた。フェリチタの背よりも大きくなっているトマトの畑には鮮やかなトマトがいくつもなっていた。
つやつやしたものから収穫していく、緑色のものはまだ食べられないとそのままおいておく。大きな籠でも3人で作業していればあっという間にいっぱいになった。
「おじさん!いっぱいになったよ」
アンナが籠を渡してくれた男性に声をかけると、とうもろこしを収穫していたその男性はにかっと笑った。
「おつかれさん、子どもには重たいから運びはいつも通りにおじさん達にまかせてくれ。と、その前に」
収穫したとうもろこしを籠に入れてから、男性は3人のもとへと近づいてくる。彼女らが収穫したトマトの山からおいしそうなものを3つ選んで、それぞれに渡してくれる。
「これは手伝ってくれた礼だ。他の人には話すなよ」
ひとつずつお礼を言って受け取ったフェリチタたちを見て男性はウィンクしてみせた。歩きながらトマトを頬張ると冷たくて、酸味がきいていてとても美味しかった。
調理場につくと女性たちが働いていて、フェリチタの母親が収穫したばかりのとうもろこしを焼いている姿が見えた。調理場といっても屋根があってコンロがあるだけの簡易的なもの。屋根はテーブルや椅子が並べられているところまで続いている。
朝食の支度が終わると、各自椅子に座る。場所は決められているわけではないのだが、何故か自然と同じ場所に座ってしまうのが不思議だ。壁の村に住まう人々が一堂に会する食事時は大人から子供の声で賑やかだ。
テーブルの上には、サラダやスープ、パンなどが並ぶ。魚を食べる文化もなく、動物がいなくなってしまったこの世界では、野菜以外の食物がない。村人たちの生活はそれが当たり前であり、動物という存在そのものを知らない。
食事の時間は年長者のお祈りで始められる、長老が厳かな顔で上座に座ると賑やかだった場が一気に静まり、皆が両隣の人の手を握る。
「壁の外におられる神よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事をいただきます。ここの用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください」
言葉が終わるとゆっくりとお辞儀をしてそれぞれの手を離してようやく食事が始まる。場が一気に賑やかになる。祈りの言葉を誰が始めたかなど誰も知らない。村人は当然のように壁の外にいる神々に感謝する。
食卓のうえには今日とれたばかりの野菜が並んでいて、ルーカスは懸命に小さな手を伸ばして木苺のジャムを取ろうとした。
「届かないでしょ?取ってあげる」
それを見た近くにいた少女、ミュゼが取ってあげようと身を乗り出した。手が届く寸前のところで横からさっと手が伸びて取られてしまった。
「ちょっと!イアン!あなたのパンにはたっぷりジャムが乗っているでしょう!」
「もふたへたもんね!」
「今口の中に押し込んだじゃない!どうしてそういじわるするの!?」
イアンは口の中に押し込んだパンを果実のジュースで流し込んだ。
「いじわるなんてしてねぇよ!ルーカスも女に世話焼いてもらうなんてまだまだ子どもだな!背も小さい!やいやい!ちびっこルーカス!ママがいっぱいいていいな!ミュゼにアンナ!おしめのお世話もしてもらってるのかなー?」
「そんなわけないだろ!!うるさい!イアンなんてバカのくせに、バカ、バーカっ!!!」
ルーカスはパンをテーブルの上において、からかうイアンに飛び掛った、小さな体で体当たり、イアンはルーカスとはひとつ違いだけれど背も大きく体格も違う。なんなくそれを受け止めて体を払う、地面に転がったルーカスはそれでもめげないで闇雲に両手を振り回しながらイアンにつっ込んでいく。
「ルーカス!食事の時くらい大人しくしていなさい!」
「イアン!さっさと謝って!」
アンナがルーカスを止めて、ミュゼがイアンを止めに入る。
「だって!イアンがいじわるなことばかり言う!!イアンのバカ!ばぁあああああかっ!!」
「ごいりょくがねぇな!バカしか言えないのかよ!このチビルーカス!!先に殴ったのはそっちだ!オレは謝らないかんな!!」
「いい加減にしないか!ばかもの!!」
イアンの父親の怒声が響いて、ようやくふたりは静かになった。ふたりの前に仁王立ちする大柄な体、逆光のせいか凄みが数倍にもなっている。
「草むしりの刑だ!俺がよし、と言うまでごはんはオアズケだ!」
イアンの父親の言葉に、アンナとミュゼは、だから止めたのにね。と顔を見合わせて言葉もなく互いに肩をすくめている。
「アンナ、ミュゼ、お前たちもだ」
静かに言われたその言葉に、ふたりは驚いて彼を見上げた。
「未来の旦那の世話くらいちゃんとしないとな」
ふたりの顔が青ざめてイアンとルーカスを睨みつけると、ふたりは視線を明後日の方向に向けた。その表情や、動作のタイミングが全く同じでコメディの劇でも見ているような気持ちになって笑ってはいけないのに何人かが笑ってしまっていた。4人はなにやら言い争いながらも畑へと向かっていった。やれやれといった面持ちでイアンの父親が椅子に座る。
「ありがとう、フランク。僕が言ってもどうしても聞いてくれなくてね」
隣に座って居たルーカスの父親が礼を言う。ガタイのいいフランクの隣に座ってしまうとルーカスの父親の頼りなさげな体格が際立った。
「いいさ。代わりに草むしりから帰ったあいつらを宥めてやってくれ」
「はは、了解」

フェリチタは一部始終を遠くの席から見ていた、子どもはもみくちゃになりながらも食べ物を奪い合っているが、フェリチタは幸福な子どもであるため他の子よりも多めに取り分けられ、彼女用に用意されている。周りに座るのは母親たちと、まだ母離れ出来ていない小さな子どもたち。同世代の子と一緒に食べたい気持ちもあったが、イアンなんかは人の目を盗んで別の人が確保した食べ物を盗ってしまったり問題を起すので、フェリチタがあのテーブルについたら文句ばかり言われるのは目に見えている。
「イアンてば、どうしていつもいつも他の子にいじわるをするのかな。この間もアンソニーと殴り合いの喧嘩していたのよ?」
コーンスープを一口の飲む。
「フェリチタちゃん。イアン君のあれはやきもちっていうのよ?」
「やきもち?」
木苺ジャムの塗られたパンをひとくち齧って首を傾げる。あれの何処がやきもちなのか。
「やきもち!どこにあるの?おもち食べたい!」
フェリチタの手前の席で母親の隣の席に座っていた小さな子が大きな声を上げて、その場にいた人たちが笑い出した。


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