駄文

幸福なものたち 幸福な子ども 04


目の前に立ちはだかる巨大な壁、他の壁と少し色が異なって四角く切り取られ切れ目が入っているそれは、石の扉だったが知らない村人たちの目からはこれはただの壁で、外界とつながるとは想像したこともなかった。
車夫が手を上げると、ぎぎぎと重たい音を響かせてゆっくりと扉が開いていく、
「わ、あ」
魔法によって壁が割れたように見え、フェリチタが感嘆の声を上げる。
外の世界が目に飛び込んできて風がびゅうと吹いてフェリチタの長い髪を揺らした、立ち並ぶ大きな建築物、煙突から煙がもこもこと上がっていて、村人の人数と比べものにならないほど沢山の人が歩いている、道は石畳が敷き詰められていて芝生と土しか見たことのないフェリチタには不思議なものに見えた。
ここが神様の住んでいるところなんだ。
きょろきょろと視線を動かしていると、音を立てて後ろで扉が閉まり首を捻って後ろを向くと壁がまた出来ていて村の様子は伺えない。
人力車は道路の脇にすぐに止まり隣に乗っていた偉い人が降りた、フェリチタはそれに倣おうとしたけれど手で静止される。
「貴女はまだ乗っていて、私が同行するのはここまでだから」
到着まで一緒に居るのかと思っていたのに、なんだか拍子抜けしてしまった。
女性は車夫にお疲れ様でしたと礼をして行ってしまい、少し寂しさを感じながらもフェリチタは椅子に身を沈めた。
車夫は言葉もなく再び人力車を引きはじめた、車輪が回っていくのに土埃はもう上がらない。
女性が降りてしまい少し寂しく感じていたフェリチタも町の様子を見ているとそんな気持ちも晴れてきた。
立ち並ぶ家は珍しいものたちばかりだ。洋服をたくさん飾ってある家、パンばかりがおいてある家、野菜ばかりがおいてある家、店という概念を知らないフェリチタはどうしてあんなにもひとつのものを集めているのかしら?と興味ばかり、建物の間に細長い棒が立っているのもなんなのか分からない。それは街頭だったが村にはない。同じくらい子どもが集まってくすくす笑いながら歩いていて、仲良くなれるといいなとどきどきしながら見送った。
人力車は建物の間を走りながら、大きな屋敷の前で立ち止まった。
立派な門は黒で塗られていて、とても大きくて上まで見上げるとフェリチタの首が痛くなってまう。
「到着なの?」
人力車から手を離して肩をぐるぐると回している車夫に人力車に乗ったままフェリチタが聞く。
「ああ」
男は簡潔に答えるとフェリチタの体を持ち上げて人力車から降ろし、石畳の感覚がおかしくて靴でとんとん叩いた。固い。車夫が門へと近づいて壁に埋められたボタンを押すと屋敷中に響く大きな鐘の音が響いた。
驚いてフェリチタは体を縮こませて、何処から聞こえたのかきょろきょろと探すけれど音が鳴るようなものは見当たらない。
少しするとひとりのメイドが屋敷から出てきて、門の鍵を開け開いたメイドは無表情で何を考えているのか分からない。
フェリチタはその服が何を意味しているのか理解出来ず、ただ可愛い服だなと思っただけだった。
「ご苦労様でした。こちらが今回分の報酬になります」
メイドが男に小さな袋を渡すと、男はその場で袋を開いて手のひらに入っていたものを出す。金貨が2枚大きな手のひらに収まりフェリチタは興味深げにそれを見る。太陽に反射してきらりと光るのが綺麗だった。
「おいおい、朝から仕事をさせた割には少なく無いか?」
「妥当でしょう。嫌でしたら止めていただいて結構です、代わりはいくらでもいます」
「チッ、いいよ。分かったよ。これからもご贔屓に」
袋の中に金貨を戻して、男はフェリチタなど目もくれずに歩いて行ってしまった。
会話の内容が理解できないフェリチタはただ首を傾げて男の後ろ姿を見る。
「こっちよ、いらっしゃい」
メイドの声にフェリチタは振り返って彼女を見上げた。男に対して冷たい言葉で返していたのを見て怖い人だと感じたフェリチタは少し身を縮めてしまう。それを見たメイドは先ほどのことを思い出して苦笑した。
「ごめんなさい、怖がらせてしまったわね。大丈夫よ」
フェリチタと同じ視線まで屈んでメイドはフェリチタに微笑みかけられ、フェリチタの体がから緊張が幾分か解けた。
「長旅で疲れたでしょう?お風呂に入ってぴかぴかにしましょ」
お風呂は知っている、暖かい水が出てくる魔法の場所だ。村にはなかったが、幸福な子どものために作られた魔法の建物にはそれがあった。
幸福な子どもとその家族しか入ることを許されていない家だったから他の子どもたちと共有することは出来なかったが、フェリチタはお風呂が好きだ。
嬉しくて素直に頷くとメイドの後ろに続いた。

建物の中に入っても驚きの連続だった、まず床に真っ赤のふわふわと何か柔らかいものが敷かれている。足場が安定しない感じであまり好きにはなれそうにないが雲の上を歩いている感覚というのはこういうものなのかもしれない。 吹き抜けになっている高い天井を見上げると、きらきらしたものがぶら下がっていた、ろうそくがいくつも乗っていて透明の雫型をしたものがきらきら窓から差し込む夕焼けの光に反射している。 フェリチタはシャンデリアも絨毯も知らない、すべてが魔法のもののように見えた。 メイドに付いて階段を上っていくと廊下は正面と左右のみっつに分かれていて、正面の廊下の両側には扉がいくつも付いていた。別の世界に繋がっているのかもしれない。フェリチタは全部の扉を開けたくてうずうずしたが我慢して大人しくついていく。 一番奥にまで来ると右側の扉にメイドが真鍮製の鍵を差しこんで回すのをフェリチタはそれを興味深げに見る、村には鍵なんてないそれがなんなのか分からない。 扉が開かれフェリチタは何度か分からぬ感嘆の声を上げた。 ピンク色の壁紙、はめ殺しの窓には真っ白なレースカーテンが光を浴びて光っていたし、チェストの上には陶器で出来た花が飾られていて、真っ白な天外付きベッドにはよく分からない形をしたぬいぐるみが置かれていた。まだまだフェリチタの目にはたくさんのものが映っていて、わくわくする。 メイドが荷物をテーブルの上に置いていいと言ったので、大切に抱きしめてきた贈り物を白の丸テーブルの上にそっと置いて、ワンピースは広げた。こうして見てみるとやっぱりアンナはすごいなあと関心する、道中に洋服がたくさん飾ってあった家があったからきっとその人は洋服を作る人なのだろう、その人に裁縫を教えてもらってアンナにお返しするのもいいかもしれない。
「お姉さん、あれはなに?」
フェリチタはベッドの上に置かれたふわふわのぬいぐるみを指さした。見たこともない不思議な形をしていて頭は丸く、頭上には半丸のものがふたつ、目も鼻も口もある、手も足もある。でも人間じゃないふわふわしたもの。
「クマのぬいぐるみよ」
「くまのぬいぐるみ?とてもかわいいけれど、不思議な形をしているのね」
「ふふ、言われてみればそうね。ぬいぐるみといったら、あの形のものばかりなのに、みんなクマがなんなのか知らないのよ?誰かが考えた絵本のキャラクターだと思うのだけど」
誰かが考えた空想のキャラクター、村に帰ったら教えてあげよう。フェリチタはうんうんとひとり頷く。
「お風呂場はこっちよ」
メイドの声がかかったので彼女に付いてく。部屋の外に出ていくのかと思ったのに部屋のなかにはさらに扉があって、そこを開くとお風呂場になっていた。 部屋にもうひとつの部屋があるなんてすごい、とフェリチタは脱衣所からお風呂場を見て感心した。猫足のバスタブ、お湯はすでに張られていてあたたかな湯気が充満していた。 惚けているとメイドがフェリチタの服に手をかけてきて、びっくりして振り返る。小さなころは母親に手伝ってもらっていたが今ではひとりで出来る。
「もうひとりで出来るよ」
子ども扱いされたことにちょっとむくれて、メイドの行動を制すると自分で服を脱いで、お湯に手を浸すと丁度いい温度。 バスタブに体を沈めると、たっぷり張られていたお湯はフェリチタの小さな体積でもお湯が零れた、肩までつかると気の抜けた声が出る。 お風呂はいつもおかあさんと一緒に入っている、この人も一緒に入るのかな?と彼女を見上げたらメイドの手にはスポンジがある。それだけじゃない彼女の足元には色々な種類のボディーソープ、他のスポンジが入った箱が置かれていた。 不思議に思っていると、彼女はボディソープを泡立ててフェリチタの腕を取る。
「何をするの?」
「ぴかぴかに洗うのよ」
数分後。フェリチタの体はもこもこの泡に包まれて、メイドの手によりごしごしと洗われた。それはもうごしごしと、じゃがいもを洗うみたいに、にんじんを洗うみたいに、ごぼうを洗うみたいに、何度も私は野菜じゃないのよ!と伝えたけれど、メイドはにっこりと笑って知ってるわ。と答えるばかりだった。

お風呂に入って体はぽかぽかと暖かいのに、ぐったり疲れてしまうという経験をフェリチタは初めて体験した。村にいた時には好きだったのにお風呂嫌いになりそう。メイドに促されるままに脱衣所にあった椅子に座り、フェリチタの長い髪を風が出る魔法の道具で乾かされる、これはドライヤーというのよとメイドが教えてくれたけれど、見たことのないものに驚くよりも今は疲れが強くて驚いている元気もない。 せっかくなので早速アンナの作ってくれたワンピースが着たいなと、ワンピースを取に行こうとしたけれど、メイドに制される。
「今らからここのご主人様に紹介するの、だからうんと可愛い服を着ないと」
アンナの作ってくれた洋服だって十分に可愛いのに、とフェリチタは少し落ち込んだが、あまりわがままも言っていられないとメイドが用意してくれた服に袖を通すことにする。 真っ白なドレス、襟元はギャザーになっていて細かな刺繍があしらわれている、胸元には真っ赤な宝石がひとつ。ふんわりと広がるスカートはレースがいくつも折り重なっていて、なんだか動きにくい服だ。ラッパ口になっている袖も気になりパタパタ腕を動かした。 乾かされた髪も丁寧にとかされ、綺麗にひとつにまとめられて頭の高い位置で束ねられた。靴も新しいものを用意されていて、見たこともないぴかぴかの真っ赤なエナメル靴に足を通す、少し窮屈だったけれど歩けないほどではない。
メイドがフェリチタの前に来て満足そうに頷いた。
「うん、とても可愛くなったわ。いらっしゃい」
手を引かれるままに銀色の板へと近づき、疲れが一気に吹き飛んだ。 銀色の板にお姫様とメイドが映っていた。
「すごい、お姫様が映ってる!」
お母さんが絵本を見せてくれた、綺麗な服を着ているかわいい女の子、彼女はお姫様と呼ばれ、壁の外にいるのだと教えてくれた。壁の外にほんとうに居た、見つけた!まだ壁の外に来て1日も経っていないのに、みんなに話したいことがいっぱい出来てしまった。 フェリチタが動くと板の中のお姫様も同じ動きをする。不思議に思って首を傾げたり、手を上げてみたりやっぱり同じ。
「真似っこしてる」
くるくると回ってみる、同じ動きにくすくすと笑う。
「これはね、鏡っていって、あなたが映っているのよ。水溜りに姿が映るでしょう?それと同じなの」
フェリチタは目を丸くして驚く、やっぱりここは魔法の国なんだ。お風呂の入り方は好きになれないけれど、お姫様に変身できる。
「すごい、すごい!」
ぴょん ぴょんと飛び跳ねる、動きにくいけれど壁の外の洋服もかわいい。アンナにもミュゼにも他のみんなにもお土産に持って帰りたい。
「さ、ご主人様に会いに行きましょう」
「うん」
ご主人様というのはどういうものなのかフェリチタにはよく分からないけれどメイドの言葉に頷いて部屋の外に出る。 驚いた、そこは暗闇に沈んでいて、昼間から急に夜になってしまった。吹き抜けから月の明かりが差し込んでいたが光は微々たるもの、ろうそくの明かりはないのかしらと思うけれどメイドは何も持っていなかった。 かちりと音がして、手前側から奥へと向けてひとつずつオレンジ色の優しい光が灯りが灯った。フェリチタはびっくりしてオレンジの灯りを凝視したけれどさっぱり分からない。 メイドが足を進めたので、慌ててその後を追いかけた。

「さ、着いたわ」
光を見上げながら歩いていたら扉の前で立ち止まった彼女にぶつかった。 フェリチタは謝ったが、メイドは気にした様子もなく目の前の赤く塗られた木製の扉を軽くノックをし返事も聞かずに扉を開く、開かれるそれにフェリチタは緊張する間も無く、この家の主人と対面することになった。 落ち着いた雰囲気の部屋だった、オレンジのランプが灯り皮張りのソファにこちらを背にして男が座り、机で何か作業をしていたが、返事もせずに開かれた扉を顔を顰めながら振り返った。
「返事をしてから開けろと何度も言っているだろう」
フェリチタの父親と歳は同じくらいに見受けられたが、彼のような素朴で優しい温かさはなく、肩幅が広く恰幅の良いこの男はどこか威圧的に見えフェリチタはメイドの陰に隠れた。
「それよりも、ファームから到着しました」
メイドはそんな男の様子を気にしたこともなく、背中に隠れたフェリチタの肩を押して自分の前に出した、フェリチタは背の高い男を見上げ、男のアーモンド色の瞳が細められ、ほぉと声を上げた。 男は興味深そうに近づいて目線を合わせるようにしてしゃがむ、真正面から向かうことになったフェリチタは見知らぬ大きな男に戸惑った。
「こんにちは」
ご主人様がどういうものかは分からないけれど、きっと偉い人なんだとフェリチタは挨拶をした。この人が神様で、案内してくれた人が神官様なのかもしれない。男はフェリチタのもちもちした小さな腕を取って軽く揉む。 いきなり触られるとは思わずフェリチタは少したじろぐ。
「ん?うん。ファームの子どもというのはこんなものかい?」
フェリチタの言葉に軽く頷いて、男はメイドを見上げた。
「要望通りですよ」
「そうか」
男はフェリチタの腕をもう一度指で押し、何か考える素振りを見せてから手を離した。自分の腕を触られた理由が分からずにフェリチタは自分の腕を握ってみるが、変わったところも、おかしなところも何もない。
「明日は頼む」
メイドはその言葉に頷いた。交わされる言葉はフェリチタが理解出来ないものであったし、ご主人様という男と会話は出来なかったが、ここは「偉い人」が暮らしている世界で、その中でも偉い人なのだから村から出てきたばかりのフェリチタが、あのような対応を受けることになっても仕方のないことなのかもしれない、とひとり納得する。
男の部屋から出たフェリチタはメイドに連れられて初めの部屋へと戻る。
「もう疲れたでしょう?今日はもうお休み」
「このお家を探険したいわ。扉がいっぱいあったし!どんな魔法があるのか見たい」
疲れてはいるが好奇心が勝った、今にも飛び出して行きたくてうずうずしている、本当は外にも行きたい、魔法の世界だからきっと外もきっと色々なものであふれている、でも夜だからそれは我慢だ。
「ええ。でもそれはまた明日。とっておきの葡萄ジュースがあるの、それをあげるからそれを飲んで今日はお休み」
「はぁい」
フェリチタは不満を感じながらも頷くとメイドは一度部屋を出て行ってしまった、ベッドの上に座って足をぶらぶらさせて待つが、すぐに興味はベッドの上に置かれていたくまのぬいぐるみに向いた、抱きしめるとふわふわしててとても気持ちがいい、手を持ってぱたぱたと動かしてみるとなんだか生きているみたいでとてもかわいかった。 少ししてメイドはジュースを持ってくる、コップの中に紫の液体が入っている、フェリチタはどきどきしながら口をつけて一口含む。甘い香りが口の中に広がった、とても美味い、フルーツの味だけじゃない、飲んだことのない甘味にフェリチタはコップを傾けて一度コップから口を離さずに飲み干した。 「おいしい!おかわり」
コップを差し出すが、メイドは首を横にふるった。
「一杯だけよ」
「むー」
それならばもっと味わって飲めばよかったとふてくされながら横になる。横になると睡魔が襲ってきた、歯磨きをしないとおかあさんに怒られると思いながらも、瞼はどんどん下がっていく。お姫様の洋服にお城みたいなおうち、おいしいジュース。この魔法の家に他にどんなものがあるんだろう、今日この日のことですらみんなに話すことがたくさんある。
「しあわせだなあ」
微睡みに身を任せながらもフェリチタは呟いた。

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