駄文

その小指に約束が 01


土砂降りの雨が男の体を打ち付けていた。安物の合羽は意味をなさずTシャツに染み、ぬかるんだ地面に靴が沈み長年愛用しているスニーカーは泥まみれになっている。それでも男は一心不乱に穴を掘り続けている。誰もいない林のなかスコップを地面に突き立てる。夜中にこんな場所に人が来るはずがないと思いながらも、もしかしたら誰かが来てしまうかもしれないという気持ちが余計に男を急き立てる。男の傍には女が横たわっていた。シートも何も敷かれず泥まみれになっている、目は見開かれ口も大きく開きその口の中へ雨が容赦なく入り込み口元から溢れている。そんな女には目もくれず男は穴を掘る、掘って、掘って、掘り続ける。満足いくまで掘り進めるとようやく女の存在を見とめてその細く冷え切った腕を掴みずりずりと引きって穴の中に突き落とす。泥が跳ねるのを男はわずらわしそうに顔を顰める。仰向けになった女の顔は恐ろしく怨嗟の声を上げているようにみえた。それから目を離しどろどろとした泥をかけていく。早く、早く、早く、腕はすでに悲鳴を上げていた、痛くてたまらなかった。だけれど、そんなことを気にしていられない、早く、早く、早く。女の姿が見えなくなってもまだ泥をかけた。暫くして男は満足したのかスコップを握り締めてばしゃばしゃと音を立てて泥を飛ばしながら足早にここを去っていった。女が埋まった場所は他の場所ともう見分けがつかなくなっていた。地面には指輪がひとつ、いくつもの雨を受けて水滴が何度も零れ落ちていた。



「もうこれで全部か?」
季節は梅雨、それに相応しく雨が降っている。男は両手でダンボールを積み上げて持ち、紙袋を持っている隣に居る女性に声をかけた。男の持つダンボールは萎びていて、中に入っているものも濡れてしまっているかもしれない。実際、女の持っている紙袋の中身である洋品は水を吸って変色していた。
「うん、それで終わり!」
両手が塞がっている男の代わりに玄関を開けてやり、ふたりして部屋に入る。男が手に持っていたダンボールをどかりと玄関に降ろし、女は紙袋をその側に置いてしゃがみこむ。
「ああー全部洗濯しないとかも」
一番上に乗っていたアウターを捲れば下に入っている別のTシャツも雨で色濃くなっていた。
「ったく、何でこんな時期に引っ越してきたんだ?せめて晴れてる時にすればよかったのに」
ぐっしょりと靴下まで濡れてしまった足が気持ち悪く、足から靴下を引き抜き用意しておいたタオルで足を拭く。
「しょうがないでしょ?休みの日の度に雨なんだから。て、剛君、何で足から拭いちゃうかな!先に髪を拭かせてよ!」
「足のほうが気持ち悪いだろ。もうひとつ持ってきてやるから、カリカリするな」
剛は足の水気を取ってから、部屋へと上がり裸足のままペタペタと歩き風呂場からタオルを持ってきてやる。女に渡すとお礼を言って受け取り長い髪を丁寧に拭いている。
「なんで髪伸ばしたんだ?ショートカットのほうが似合ってたのに」
「前にも言ったでしょ、願掛けしてるの」
そうは言うものの彼女はその願いを教えてくれない。叶う前に人に言ったら叶わなくなるって聞いた。という。女というのは占いが大好きというイメージがあるが、剛には全く理解出来ない。あんなもの誰でも当てはまるように作られているに決まっている。彼女がいうのはこれはとは少し違うものかもしれないが。丁寧に拭き終わった彼女は漸く部屋に足を踏み入れた。
「おかえり、奥さん。新居へようこそ」
「ただいま、旦那さん。これからよろしく」
婚姻届を出してから半年以上経って、漸く木原剛と涼子は一緒に暮らすこととなった。
「シャワー先に使えよ、新生活早々風邪なんて引いたら嫌だろ」
「うん、そうさせてもらう」
「おい、そこは一緒に入る?て聞くところじゃないのか」
結婚する前からこの部屋には何度も来ているため風呂場の位置は分かっている涼子はすたすたと向かってしまう、新婚なのだから当然のようにいちゃつけるものかと思っていた剛は肩透かしを食らった気分だ。
「ダンボールをそのままにしておきたくないの。床シミになるよ。賃貸でしょう。ここ」
「いや、ま、そりゃあそうだが」
がくりと肩を落とす、しっかりとした嫁になるとは思っていったけれど。少しくらいご褒美くれたっていいだろうに。雨の中重たい荷物運んだんだぜ。剛の思いとは裏腹に涼子の姿はバスルームに消えた。

「それで?何で直ぐに引っ越してくれなかったんだよ」
涼子が風呂をでた後剛もしっかりと体を温めて、引越しの片付けも大体目処がついた頃、インスタントコーヒーを入れてくれた涼子に聞く、彼女は立ったままカウンターキッチン近くの壁によそりかかっている。
「私は結婚式をしたい。て言ったのに、金がかかるーとか文句言って無しになったから」
「いや、それは言ったけど。金が貯まって、子供もできて生活が安定してからでもいいだろって。別にやるなとは言ってない」
「はーっ!生活が安定?そんなの何時になるか分からないじゃない。60、70歳になってからウェディングドレス着たくないんだからね!20代のうちに着たいの」
振ってはいけない話題を振った。剛は何とか軌道修正を図ろうと頭を働かせる。
「だから結婚式のOK出るまで別居してやる。って思ったんだけど、新婚で別居してても仕方がないし、私が折れてあげたわけ」
その言葉にほっと息を吐く、新婚早々喧嘩して同居しはじめてまた喧嘩。だなんて嫌だ。仲睦まじくやっていきたい。コーヒーを口に含む、いつも飲んでいる安物のインスタントコーヒーだが涼子が淹れると美味しくなるのが不思議だ。
「涼子が来てくれて嬉しいよ」
「うん、未来の結婚式楽しみにしとく」
なんとしてでもリストラなんかに合わないようにしないとならない。笑顔の圧を感じ剛は引きつった笑みを浮かべた。そんな剛の視線の先で涼子が首を傾げた、何事かと見守っていると彼女は床にしゃがむ。彼女が立ち上がった時にはその手に何か持っていた。
「随分と小さな指輪ね、ピンキーリング?」
人差し指と小指でそれを摘んでいてこちらへ見せてきた
「お前のじゃないの?」
持ってきた荷物の中から落ちたんじゃないだろうかとコーヒーを飲んでから聞くと涼子の首が左右に振られた。
「私の小指には小さいもの」
ふたりして首をかしげる。涼子がしげしげとそれを眺めている。自分の記憶を探っているのか、この指輪の謎を探っているのか、剛には考えが読めない。
「名前が彫ってある、T&A?ブランド、じゃなさそうだし。Tって剛のT?これもしかして、浮気相手のとか!」
掘られた文字を涼子が読み上げてからその後の言葉が耳に入らなかった。あまりにも身に覚えのありすぎるそれ。耳鳴りがする。顔から血の気が引いていく。
「って、大丈夫?顔真っ青!」
持っていたコーヒーカップをカウンターテーブルに置いて涼子が近づいてくる、気分悪いの?大丈夫?と話しかけてくる彼女を他所に、涼子がテーブルの上に置いた指輪に視線が釘付けになっていた。涼子には風邪をひいたかもしれないと伝えて寝室に引っ込んだ。折角妻が同居し始めた記念の日だというのにあんまりだった。涼子はおかゆ作ろうか?とか聞いてきてくれたが、暫く寝ていれば治ると突っぱねた。布団の中に篭り指輪を思い出す。ありえる筈がないと何度も心の中で反芻する、指輪はあの女と一緒に地中に埋めた。あの女が生きていてこの家に忍び込んだ?馬鹿げた妄想に首を振るう。あの女は確かに死んでいた。あの土の中から這い出るなんてゾンビでしかあり得ない、ゾンビなんてこの世にいない。けれども、生きているのかもしれない。という思考が頭にこびりつき、枕元にあったスマートフォンを開く、暗い中でのブルーライトがやけに明るい。検索エンジンから、ひとりの名前を打ち込む。 左上の円がくるくると回り直ぐに求めていた情報が映し出される、警視庁のホームページ。行方不明者を探しています。平成28年6月18日発生 氏名 倉田彩奈 当時 26歳 身長 158㎝ 体型 細身 頭髪 黒髪ストレート長髪 服装の項目は空白になっている。写真と特徴を見ても、倉田彩奈そのままだ。まだ死体は発見されていないと喜ぶべきか、生きていたのかもしれないと疑うべきか。ありえない。剛はスマートフォンを切り首を振るう。嫌な考えが湧いて出る、彩奈は死んだ、死んだのだ。体の震えを止めようと自分を抱きしめた。

雨の音が容赦なく地面を叩き付けている。剛は公園の屋根の下で人を待っていた。スマートフォンのデジタル時計は深夜の1:10を指している。どうしても決着させなくてはならない話があった。けれどこんな夜中でなくてもよかったのではないかと冷静な思考も存在していたが今更止めたなどとは言い出せない。ぱしゃりと雨音に別の音が混じった。音の方向を見ると女が傘を差してこちらに向かってきた。ゆっくりとたしかな足取りで。何処かでみた光景だ、たしかにこれをどこかで見ている。剛はぼんやりと女を見つめて、
「―っ」
声にならない悲鳴が盛れた、体が硬直して動かない。知っている、たしかにこの光景を知っている。女が口を開く。ざりざりとノイズが混じった声。
「どうして私を殺したの?」
女の言葉に喉が引きつる、声を出したいのに声が出ない。俺じゃない、お前が勝手に死んだのだ。
「どうして私を殺したたの?」
ざざっと女の姿が消えたかと思えば、それは近くまで迫っていた。声にならない悲鳴をあげて剛は布団から飛び起きた。ここが何処なのかわからずに暗闇のなか目をしばたかせて、何かを見つけるために頭を動かす。ようやくスタンドライトを見つけると明かりをともす。心臓がばくばくと響いて落ち着かない、灯りをつけても落ち着かず視線を彷徨わせて、隣に眠っている涼子を見とめてようやくここが自分の部屋だということを認識する。
「大丈夫?」
いつの間にか眠っていたらしい、涼子は剛を責めることなく心配そうにこちらを伺った。
「気持ち悪い、洗面所行ってくる」
付き添おうとする涼子の申し出を断りふらふらする足取りで洗面所へと向かった。蛇口をひねって水が落ちる、その冷たさが心地よかった。顔を洗って、蛇口を閉めて近くにかかっているタオルを手繰り寄せ顔を拭く。顔を洗ったら少しすっきりしたかもしれない。ふうと一息ついて顔を上げる。暗がりの鏡の中に黒髪の女が写っていた。悲鳴をあげてたたらを踏み尻餅をつく。
「何やってるの?ほんとに大丈夫?」
ぱちりと電気をつけられてそこに居たのは涼子だと気づく。心臓に悪い。
「涼子…やっぱ髪切れよ」
今までも何度かその長い黒髪を見て、あの女を思い出したことがあったが今はその比じゃない。何故か現れたあのピンキーリング。それが剛の心を必要以上に乱していた。
「だーかーらー願掛けしてるんだってば!心配して来てあげたのに」
頬を膨らませてしまった。折角の同居生活初日なのに彼女の機嫌を損ねてばかりだ。けれど涼子のお陰で気持ちは落ち着いた。

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