駄文

その小指に約束が 02


次の日、朝日が眩しくて剛は瞳を開けた。夜には閉めていたはずのカーテンが開かれている、隣を見ると涼子の姿がない。カーテンを開け広げたのは彼女だろう。あの後もう一度眠ってしまえば気持ちは大分落ち着いていた、夢で再び魘されることもなかったし、何もあの指輪でそんなに怖がる必要はなかったのではないかと思いはじめていた。たかが指輪だ。それが何故家にあるのかなんて知らない。けどきっと何かの拍子で間違って持って帰ってきてしまったのだろう。そうに違いないと剛は自分に言い聞かせた。それにこれから新婚生活が始まるのだ。過去の事に囚われて新婚を楽しめないなんて間違っている。寝室から出て行くと朝の香りが漂っていた。自炊などろくに出来きず、朝食はもっぱら食パンとコーヒーだったが涼子は白米に味噌汁。彼女は祖父母とも一緒に暮らしていたからその影響かもしれないと語っていた。部屋へと足を踏み入れるとテーブルに朝食を並べるエプロン姿の涼子の姿があった。その存在が眩しくて剛は目を細めた
「おはよう」
「おはよう、体調はよさそう?もし具合が悪いようだったらお粥にするよ?」
「一晩寝たらよくなった、会社も行ける」
「よかった、よかった。急に顔色悪くなるんだもん、心配したよー」
剛が元気なのを涼子はほっとした様子で笑って、じゃあ朝ごはんにしよ、とテーブルに着く。剛の部屋にはダイニングテーブルというものがないので座卓にソファの前の床に座っての食事。手をあわせていただきます。ひとりの時にはやっていなかったことも涼子がいると一緒になってやってしまう。というかやらないと怒られる。どこの家にもある普通の朝食のはずなのに剛には感動するほど美味しく感じた。涼子よりも剛のほうが仕事に行く時間が早いので彼女が作ってくれた弁当にまた感動しながらも可燃ごみの日のためゴミ袋を持って鼻歌を歌いながら外に出る。今日は特別いい天気に感じる、ゴミ捨て場にゴミ袋を捨てて、ポケットの中を手をつっ込む。出したのは例の指輪。こんなものを見つけたら気分が悪くなった。もうこれは必要ない、棄てたものだ。剛は無感動に指輪を投げ捨てた。けれど、それでは収まらなかった、指輪のことなど頭の片隅程度にしか認識しなくなった頃、仕事から帰宅するとごみ捨て場にまで持っていったはずの指輪が我が物顔で自宅のテーブルに置かれていた。背筋がぞっとして家の中にいるはずの涼子を呼ぶ。いくら大声で呼んでもうんともすんとも返ってこない、買い物にでも行っているのか、スマートフォンを右手に握りしめ暗証番号を入力し終えたところで、買った時から設定し直していない着信音が響いた。名前を見た瞬間手から滑り落ちる。かつんと音を立てて床に落ちる。落とした時にスピーカーを押してしまったのか、音が外に漏れる。
「留守番電話サービスに移行します」


ぴーーー

ざりざりとしたノイズ音、聞き取りにくい声、何を言っているのか分からない、直ぐに切らなければ。早く、早く、早く!なのに体は動かず床に落ちているスマートフォンに釘付けになる。ざざざと音がなっている。ノイズ音が鳴っている。ふと、ざざざという音が消えた。切れたのかとほっとしてスマートフォンに手を伸ばす。

「どうして私を殺したの」

屈んだ姿勢で体が硬直する

「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」「どうして私を殺したの」

その言葉は何度も何度もリフレインする。剛の体は震え、瞳孔が開く、顔は青白く息も荒い、これを止めなくてはと震える足を、なんとか一歩踏み出した、その後足が動くのは簡単だった。走って向かった先は何を思ったかキッチン。引き出しを開けて金属音をガチャガチャ鳴らしながら目的のものを探す。肉たたきを見つけるとそれを握りしめて音の発信源にかけていく。唸り声をあげて何度も何度も振り下ろす。だん!だん!と強く床を叩く音がする。スマートフォンが砕ける、床が凹んでいく、スマートフォンの内容物が弾け飛ぶ。リフレインしていた音が止んでも剛はしばらく続けていた、振り下ろす腕を止めてじっとそれを見つめる。まだ心臓が嫌な音を立てている、耳鳴りがして煩いはずの雨の音が聞こえない
「お肉がねセール中だったの!ステーキにしようと思うんだけど………………なんで肉たたき持ってぼんやりしてるの?それにスマホもぐちゃぐちゃ」
声が突然聞こえて剛の肩がびくりと震える。振り返るとビニール袋を持ったまま驚いたというよりは恐怖した表情でこちらを見つめる涼子の姿があった
「あ、あぁ。大丈夫だ」
剛は自分が何に対して答えているのか分からないままに返事をした。涼子は顔を青くしているが剛は説明する気は起きなかった。なんと説明すればいいのかも分からないし、あの女について話したくない
「大丈夫って…剛君、どう考えてもおかしいよ?何かあった?」
「大丈夫だって!言ってるだろ!」
追求されたくなくて怒鳴る同時に肉たたきを床に向けて強く振り落とした。大きな音と涼子の肩がびくりと震えるのを見て我に返る。
「あ、…ちがう、悪い。涼子、ごめん」
「う、うんん。大丈夫」
気まずい雰囲気が流れる。
「あ、あー、私、ステーキソース買ってくるの忘れてた。ちょっと行って買ってくるね」
財布を引っつかんで諒子は出て行ってしまった、何もする気がおきずにどかりとその場に座り込む、愛用していたスマホがぐちゃぐちゃになってしまった。涼子との思い出も入っていたのに、バックアップなんてとってない。何をやっているんだと剛は頭をかかえた。

カチカチカチカチ

ざあざあざあざあ

時計の音と、雨の音がやけに煩い。時計を見ると22:00を示していた。涼子はまだ帰って来ない。道草でも食っているのか、それとも、あの女が関係しているのか。ありえない考えだったが剛はそれを否定することはできなくなっていた。剛は立ち上がると玄関へと駆けていく、ドアを開いたところでひらりと隙間に挟まっていた紙がおちたことに気づいた。レシートだ。近くのスーパーのレシート。ステーキ肉、ステーキのたれ、じゃがいも、にんじん、…などが並んでいるただのレシート、今日買い物に行った涼子のものであることはすぐに気づいた。それを裏返しにして目を見開く。涼子の字だ。
「私と一緒に暮らすことで剛君がなんらかのストレスになっているのだとおもいます、しばらく距離をおきましょう?」
違う、涼子のせいじゃない、剛は玄関を開けてエレベーターを降りて外に出る、雨が降っている。剛の肩を雨が濡らしていく、視線を彷徨わせても涼子の姿は見えない。当然だ、あれから何時間か経過したと思っている。涼子のせいじゃない、それを伝えたいのに、スマートフォンは自分で砕いてしまった。誰のせいだ、あの女だ、あの女がすべて悪いのだ。恐怖が怒りに変わってきた、けれどぶつけるべき相手はこの世にはいない、いない、いないのか、本当に?生きていることを否定してきたが、指輪が戻ってくることといい、電話といい、やっぱり彼女は生きているんじゃないか。剛はいてもたってもいられなくなり、スコップと車の鍵だけつかむとあの林へと向かった。雨は強く降っていてワイパーを懸命に動かしても前が見づらいほどだった。あの日と同じように車を停め、ぬかるんだ地面を踏みしめる、気持ち悪いがこれは必要なことなのだ。林の中を回ってそれらしき場所に目星をつけてみたがあの日はとにかく必死で場所など覚えているはずもなく。この辺りだったと掘り起こしてみてもただ土をいたずらに掘っているだけだ。なにを馬鹿なことをやっているのだろうと自傷的な笑みまで漏れてきた。たしかに目の前で死んで死体をこの手で埋めた女をまた掘り起こそうなんて。しかももしかしたら生きているかもしれないなんて。

「はは、あははは」

たまらず笑い声が漏れた、自分がどうにかなってしまったのではないかとただひたすら笑い続けた。もし誰かが通りがかったらあまりにも異様な光景に恐怖で凍りつくだろう。それでも剛は掘り進めた、まだ笑い声は続く。

ああ、雨がわずらわしい。



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