駄文

その小指に約束が 03


2年前 6月

剛には付き合っている彼女がいた、熊谷涼子。ともうひとり、倉田綾奈。涼子とは付き合ってかれこれ3年と経つ。綾奈とは相席カフェで出会った。剛は見知らぬ人と話をしてみたい気分だっただけで別に浮気をしてやろうとかそういうことを考えていたわけではない。綾奈自身も友人を探しに来たと言っていた。綾奈はとても綺麗な顔立ちをしていた、10人に聞いて誰もが美人というだろう。友人から恋人へと至るには時間はかからなかった。いや、剛は友人の気分でいたのかもしれない。気軽に会えて、誘いに乗ってくれる女友達。それでもこれが浮気であることは剛は承知していた、涼子と結婚したら彼女一筋になるのだから結婚する前に少し遊びたいという気持ちもあったのだが、回数を重ねていくうちに彼女がとても面倒くさい女だということに気づいた。友達を募集としていたとは思えないほど彼女は結婚というものに積極的だった。断るのも面倒で、結婚してくれる?という言葉に適当に頷いていたように思う。せがまれれば指輪だって買ってあげた。(ピンキーリングだったが)けれど、その時だってこの綺麗な女性を自分の浮気相手としていることへの優越感もあって、結婚したら綾奈とは簡単に縁を切ろうと思っていたたこともあり、面倒くさいとは思いながらもあまり重く受け止めてはいなかった。涼子がプロポーズを受けてくれたので、綾奈との関係を切ろうと夜遅くに公園へと呼び出した。梅雨時ということもあり雨が煩いくらいに降っている。深夜に至ったのはこの日涼子がプロポーズを受けてくれたからだ。彼女が自分のものになるのなら、もう不誠実なことはできないと、早々に綾奈を呼び出した。呼び出してからなかなか来なくてスマートフォンのデジタル時計を見ると深夜1:10を指していた。なにもこんな夜中でなくてもよかったのではないかと思い初めたが今以上のタイミングはないだろう。ぱしゃりと雨音が混じって別の音が聞こえた、音のほうへ顔を向けると傘をさした女がそこにいた。ゆっくりとした確かな足取りでこちらへ向かっくる。
「こんな時間に大切な話がある。だなんてびっくりしたよ」
可愛らしく小首を傾げて綾奈は笑った。屋根の下にはいると傘をたたむ。街頭がぼんやりと照らす。
「悪かったな、こんな時間に」
「うんん、いいの。大切な話なんでしょう」
綾奈はそわそわと落ち着かない様子を見せた。これから別れ話をもちかけられるなど心の片隅にも思っていない様子に剛は苦笑しそうになる。
「別れて欲しい」
まどろっこしいことは好きではない。そのままの意味を伝えると綾奈の体が固まった。
「……冗談、だよね」
ぎゅっと傘を握り締めた左手の小指には指輪がひとつ。街頭の明かりの下とても安っぽいもののように剛の目には映った。
「嘘じゃない。もうお前とは付き合えない。別れて欲しい」
「嘘。結婚してくれるって言ったじゃない。指輪もきちんとくれた」
静かに綾奈が震えている。
「ねだったからだろ?結婚のことだってあまりにも煩いから頷いただけで、本気じゃない」
「嘘だよ!!そんなこといって、私が本当に別れるかどうか試しているんでしょう?そんな嘘信じない!信じないよ」
全身でいやいやと訴えてくる目の前の女に剛は面倒になってきた。
「別の人と結婚が決まった。これ以上は続けるつもりはない」
「そんな冗談、全然面白くない!」
「そういうことだから、もう連絡してくるな」
綾奈と向き合って口論するつもりは毛頭なく、剛は綾奈に背中を向けて傘を広げる。雨は一向に止む気配がない。
「木原君!!」
階段に差し掛かったところで大声で呼び止められたが無視して早足で雨の中へと進む綾奈が傘もささずに追いかけて来た。
「別れたくない!!別れるなんていうなら、わたし死んでやるから!!本気だよ!私、本気なんだから!!」
追いついた綾奈に腕を捕まれた。
「だったら死ね!!俺の知らないところで勝手に死ねばいいだろ!!」
腕を強引に振り払う、それからの光景はスローモーションだった。綾奈の足が階段を踏み外し、後ろに倒れた拍子で頭を打つ。ごっと嫌な音がして彼女は動かなくなった。剛は顔を青くして屈めると綾奈の頬を叩く、綾奈は何も反応を返さない。足元に液体が流れてきて足を一歩どかす。雨に混じって流れてくるものは鈍い街頭の明かりを受けて。黒々としていた。それが血液であるということは綾奈の状況からすぐに分かった。
「嘘だろ」
知れず声が漏れた、慌てて左右、前後、頭を振り視線を彷徨わせる。幸いなことに人影らしきものは見当たらなかった。剛は立ったままそれを見下ろす。驚きに目を見開いたまま、口を開けたまま死んでいる。自分のせいなのか、という思考を自身で打ち消す。
「俺じゃない、俺がやったんじゃない、こいつが勝手に追いかけて、勝手に転んで、死んだんだ」
ぶつぶつと小さな声で呟く、目は完全に据わって目の前のそれを見つめている。自分ではないと何度も反芻して、けれどしかし、この状態を他人が見たらどう思われるのかと考えたら体が震えた。目の前で人が死んだとなれば、たとえ事故であろうと警察に話を聞かれる羽目になるのだろう。その時、どうしてこんな時間に彼女と会っていたのか聞かれることは確実。別の女性と結婚が決まったから浮気相手のこの女とは別れようと思って呼び出した。などといえば、誰もが、口論になり殺害してしまったのではないかと考えるはずだ。そんなことになれば、もちろん涼子にだって隠しておけるわけがない、浮気を知られ婚約破棄にだってなる可能性もある。思考をめぐらせて剛はたったひとつのことしか思い浮かばなかった。隠すしかない。

誰も気づくことがなければ失踪扱いにされる。成人の行方不明など警察は本腰で捜査などしてくれない。綾奈の友人の話は聞いたことはあるがその友人を紹介されたこともない、剛は大方友達の話は嘘で彼女には友達と呼べる人はいないんじゃないかと思っている。週末に遊びに行く友人がいないとなれば死体を隠してしまうのはとてもいい考えのような気がしてきた。抱え乗ってきた車へと向かう、涼子に少しでも感づかれないように遠めの公園にして正解だった。力の入っていない人間というのはここまで重かったかと舌打ちをしながらもこれも未来の生活のためだと力を振り絞った。

剛が向かったのは林だった、ワイパーの力をフルに回していてもいくつもの水滴が押し寄せて前が見にくい、適当に見つけた林の前に車を停めた。車には偶然購入したまま乗せっぱなしになっていたスコップがあった。出来過ぎた偶然に苦笑する、アウトドア好きの為他にもロープやら寝袋やらテントやら色々入りっぱなし。車を降りてバックドアを開き女を抱えてぬかるんだ道無き道を歩き出す、打ち付ける雨が煩わしく一歩一歩が重くなる。それでも気合で登り続けた、随分と歩いたように思う。此処までこれば見つかることはないと当たりをつけて、女をそのまま地面に転がした。足場がぬかるむ中、何度もスコップを地面を突き立てる。雨が打ち付けてせて掘った側から泥が入り込みなかなか進んでいかない。焦る気持ちも相まって余計に苛立つ。それでも何とか掘り終えると女の腕を掴みずりずりと穴まで引きずって放り込む。偶然にも上を向いたその顔は怨嗟の声を上げているようで、それから目を離し雨でどろどろになった土をかけた。



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