駄文

ねこふんじゃった01


空は厚い雲で覆われ、雷鳴が轟いている。 黒い竜巻がビル街で渦巻き、電柱や車、街路樹、様々なものを飲み込みながら成長し巨大化していく。その竜巻の中心には赤い光があり時折あざ笑うように細められては、開いて瞬きをしていた。悲鳴が聞こえ、世界の終わりを体現したその現象にマジカルステッキを持った男は、爆風で髪が煽られながら何が起こったのか分からずにそれを見た。
「あれを倒さなくてはならないわ」
長い髪をツインテールにした女性がそれを睨み、男は絶望的な唸り声を上げながら周囲を巻き込む竜巻を見上げた。


窓を全開にしたままになっていたせいで強風が入り込み、100円ショップで購入したカーテンレールとして使われているツッパリ棒が耐えられず、眉間に皺を寄せて、悪夢でも見ているのか唸りながら寝ているの男の顔に覆いかぶさった。 心臓が早鐘のように打ち男は慌てて飛び上がったが、カーテンは男の視界を遮り、訳も分からずシーツお化けのような恰好でもだもだする。なんとか抜け出して現状を把握した男はカーテンを床に投げ捨て、寒さに自身を抱きしめながら窓を閉めた。眠ったはずなのに疲れは取れてなく、目の下には隈が出来ている。頭をがりがり掻くとフケが落ち風呂に何時入ったのか思い出そうとしてやめた。 時計を見ると7時13分、しばし時計と見つめあい声にならない悲鳴を上げた、ようやく目が覚めた。 俺の名前は濱田睦。無事大学を卒業し晴れて就職する運びとなってから早3年。憧れの職につけたと喜んだのも束の間、そこはブラック企業だった。 最寄りに駅までは徒歩10分。乗らなくてはならない電車は7時30分発。朝食を抜いて着替えてダッシュするしかない。悠長に朝食を食べていれば確実に遅刻する。俺はハンガーに引っ掛ける程度に掛けてあるYシャツに袖を通してジャケットを羽織って、 義務的に足を動かして部屋を飛び出た。 朝の空は希望の朝だ!と歌いだしそうなほど元気なのに地上を走る俺の目には光は無く死んでいる。今の俺にとって朝は暴力でしかない。同じスーツ姿の男、短すぎるスカートの女子学生、ゴミ出しをしている主婦を追い抜いていくが、走ったのは久しぶりで思い描くスピードと足の動きが一致しない。
と、何かを踏んだ。ぶにっとした感触と足元から聞こえる悲鳴。思わず足を止めて、恐る恐る足を上げながら視線を向けると目つきの悪い黒猫がいた。毛並みはぼさぼさ、耳はなにかに齧られたかのように欠けている。見るからに野良猫で俺は顔をしかめた。猫は嫌いじゃない、でも野良猫は嫌いだ。特にこんな猫はどんな病気を持っているのかわからない。
「俺の正体を暴くとは、やりおるな」
少し涙目になりながら半目で猫が言った。 ………そんな馬鹿なことがあるか、猫は喋らない。この世界は絵本でもなく、ジブリでもない。どうやら睡眠時間2時間は人間には限界があるらしい、ついに幻聴が聞こえ始めたのか。 それでも仕事に行かなきゃならない、黒猫を置き去りにしてふらふらしながらも走り続けて、駅へとたどり着いたのに電車は行ってしまっていた。やってしまった。
さっきまで張りつめていた糸がぷつりと切れたのを感じた。

次の電車に乗らないといけない、遅刻になるがそれでも仕事に行かなきゃならない、なんて考えたのに足は一向に動かず、幾つもの電車を見送った。たくさんの人が電車という魔物に吸い込まれて飲み込まれて、吐き出されて、その光景がえらく気持ち悪い。 誰かが直立した俺にぶつかって睨みつけてから歩き去っていく、ポケットに入れっぱなしになっていたスマートフォンがぶるぶると震えては着信を知らせていた。

あの列車の前に飛び出したらどれだけ楽になれるんだろう。
ふと思った、巨大な魔物の前に無謀に立ちはだかって現代という社会から解き放たれて、そうだ。きっと異世界に行ける、学生の頃に夢中で読んだ異世界転生小説はわくわくして、ここじゃない綺麗な世界が広がっていて、 そこだって楽しいだけの世界じゃないかもしれない、でもそこでは毎日のように聞かなきゃならない上司からの罵詈雑言も、親からのプレッシャーも、同級の仕事自慢に合わせることも、しなくていい。

地面に根が生えたように微動だにしなかった俺の足が簡単に動き始めた、ふらふらと体が揺れて白線の外側へ、右足を一歩踏み出した。瞬間、世界は静止した。
「え」
電車が止まった、同じような目をした量産されたサラリーマンも、短いスカートでスマホを見つめている女子高生も、友達の冗談に大口を開けながら両手を叩いていた男子校生も、やたらと前髪を気にしているOLも、時が止まったかのように動きを止めている。俺は自身の足をゆっくりとホームへと戻し、右手を閉じは開いてを繰り返した。動ける。ついに幻覚まで見えるようになった。
「まだ電車が到着していないのに乗ろうとするとは、おぬしせっかちすぎやしないか」
声の方向へと振り向けば尻尾を踏みつけた黒猫がいた。
「は、はは、ははは。喋ってる。猫が、喋ってる。渋いおっさんの声で、猫が、喋ってる」
とうとう狂ったのか俺は。
「大丈夫か?顔色も悪いし、隈も出来ているではないか」
猫に心配された。耳の欠けた、金色の目をした、ボサボサ毛並みの、野良猫に心配された。見知らぬ人が猫に見えているのか?それとも全部幻覚? ああ。訳がわからない。
「話の前に睡眠が必要だな。おぬしの家に行くぞ」
猫が前足でとんと駅のホームを叩くと地面に穴が現れた。黒く渦巻くブラックホールのようなもの。これ以上許容できなくて俺は白眼をむいて倒れた。
目がさめると真っ黒な世界が俺を出迎えた、頭は妙にすっきりしている。28時(朝の4時)に昨日分の仕事を終え倒れようにそのまま眠って、今は何時だ。時計を見ると5時10分を指していた。なんだ、まだ1時間しか寝ていないじゃないか。もういちど眠ろうと目を閉じる。
妙な夢を見た、猫を踏んだら喋り出し心配までされた。ありえない夢だが、心配してくれる何者かがいたと言うだけで気持ちが軽くなったのかもしれない。目を閉じたが眠気はやってこず起き上がる、こんな爽やかな気持ちで目覚めたのは何年ぶりだろう心が軽くなりながら、水を飲みにキッチンへと向かう。
キッチンへ行く道中にリビングダイニングがあるのだが、そのソファのうえに何かの影があった。泥棒か?近くにあった部屋に似つかわしくないピンクの花瓶を手に取る。一人暮らしを始める時に、花を飾ると華やかになると母親に渡されたものだが、中身を入れられることもなくずっとここにあり埃が被っている。足音がしないようにゆっくりと近づいて、足が止まる、手から力が抜け花瓶を床に落とした、鈍い音がして花瓶が転がる。
目つきの悪い黒猫がいた。足を組んで、手にはブランデーグラスをゆっくりと回している。あの猫だ、夢で見た黒猫。
「起きたのか随分と長いこと眠っていたな、よほど疲れていたんだろう」
バリトンボイスで話す黒猫。開いた口が塞がらない、顎を掌で定位置で押し戻し頬をつねる、痛い。
「お前も飲むか?元々お前のものだしな、なかなかいいものだ」
猫が酒を舐めて笑ってる。寝よう。仕事まであと1時間ある。…いや、きっと寝ているんだ。夢の中で起きてリアルな夢を見ている。これだ。よろよろとした足取りで来た道を戻ると、おいおいと呆れた声が後ろから呼び止めた。
「まだ寝るつもりか?いささかこれ以上は寝すぎになるだろう」
この黒猫は何を言っている?まだ1時間しか寝ていないはずなのに、ぼんやりと黒猫を見ると、なるほどとひとり納得した様子で、器用にリモコンを扱いテレビをつけた、黒のスーツをかちりと着た綺麗なアナウンサーが頭を下げた。
「今晩は。夕方のニュースです、」
…え?朝の5時じゃなく、夕方の5時?リモコンを猫から奪ってザッピングする。夕方のニュース、情報番組、………何処までが現実だ?これは夢?じゃああの遅刻して、電車に飛び降りようとしたのも夢?訳がわからない。俺は今寝ているのか。
「分かったろう」
さっぱり。
「理解してもらったところで話に入ろう」
もうひとつのグラスにブランデーを注いで渡してくれた。父が就職記念に買ってくれた酒だ、いつか飲もうと思っていて忙しくて酒を開ける暇さえなかった。一口飲むと空腹の胃がぎゅうと締め付けられた。味は美味いがアルコールが体が受け付けない。
「俺のことを見破ったおぬしに協力を頼みたい」
なにも見破った記憶はない。
「俺の魂はこの通り猫に封じ込められてしまった。この肉体から解き放たれ、本来の姿に戻るために協力して欲しいのだ」
ちょっと何言ってるか分からないな。
「お前にやってほしいこととは、世界に跋扈するモンスターを倒し、散り散りになった俺の魂を集めることだ」
追いつけない俺をさらに置き去りにする黒猫。
「簡単に言えば。モンスターを倒せばいい。モンスターハンターになるのだ」
大学の時にハマったな。そんなゲーム。
「この世界に頼れるものなど他にない。助けてくれないか」
「いいよ」
どうせ夢だと俺は安請け合いした。深く考えることがもう面倒くさくなっていた。
「そうか!勇者だな!」
俺がなるのは狩人なの?勇者なの?
「このマジカルステッキを君に渡そう。マジカルリリック。と唱えれば変身できる」
魔法少女なの!?
「ちょっと待って。俺は何になるの?変身したらフリルたくさんのおじさんになるの!?成人過ぎた普通のおっさんが魔法少女の服装になるの!?夢でも流石にきついって!」
夢ならどんなことでも起こり得るが流石にそれはない。深層心理でそんな願望があるだなんて信じたくない!
「お前はまだ30前だろう。そんな年齢で自分をおっさんと言われた年上男性がどんな思いをするか考えた上で発言しろ」
厳しい口調で猫に叱られた。ごめんなさい。黒猫はこれだから若いもんは。とぶつぶつ呟いたかと思えば強い口調で言う。
「さあ。唱えてみろ!」
「待って!どうなるか聞いてない!」
「身をもって体験するほうがいい」
なんでこんなことしてるの?夢だとしてもひどい。
「まじ、かる、リ…ック」
恥ずかしい!!成人してやることじゃない!中学の時にかっこいいと思ってカード出すたびに厨二発言していたことを心からお詫びします!だから許して!両手で顔を覆って座り込む。
「恥ずかしがっている場合か!そんなのではモンスターに殺されるぞ!」
そんなの地球にいない!地球にいるのはイノシシとかグリズリーとかテディベア!だけど、これは夢!これは夢!ええい、ままよ。
「マジカルリリック!」
杖を振って大声で叫んだ。電車に飛び込みたくなった。ファンシーなリボンが俺を包み絶望する。バックには星やハートがきらきらと演出され、かわいらしいBGMも流れだす。シルエットが浮かび上がり、星と花とハートを散らして、変身完了した俺の姿が現れる。
「…ん?」
スーツを着ていた。普段自分が着ているものよりも着心地がよく、鏡で見るとシルエットも綺麗だ。
「スーツじゃないか」
フリルもない、羽もついてない、ピンクでもない、普通の、ちょっと上等なスーツ。
「サラリーマンの戦闘服だろ」
ふっと微笑まれて殺意が湧いた。その時はっと黒猫の欠けた耳が動き顔を上げた、尻尾もぴんと立っている。 「近くにいる!」 何が。なんて聞かなくても察した、黒猫のいうモンスターだ。 「さあ!その戦闘服を試すときが来たようだ」 自宅にいるのに無性に帰りたくなった。黒猫が4本足で駆け出すのを俺はぼんやりと見送ったが、黒猫は振り向くと目が赤く光らせた、途端に俺は見えない糸に引っ張られるようにして引きずられ、たたらを踏んだ後縺れた足で走り出す。猫にリードなどアンマッチだ。引いているのは猫で、引きずられてるのは人間だけど。 引きずられて到着したのは、滑り台と砂場しかない小さな公園。子供の姿はなく、公園の前には看板がかけられていた。不審者注意と目立つように大きく書かれ、不審な人物が一週間前に目撃されたと情報が載っていた。こんな所にいたら俺が不審者扱いされる、帰りたい。げんなりしていると黒猫が唸り毛が逆立つ。
「来るぞ」
黒猫の声と共に空中に穴が開いた、穴は闇が渦巻いていてその中から妙に長く細く角張った手がのそりと這い出る。モンスターと言うのだから獣のようなものだと思っていたけど、これは違う。骨だ。のそりと這い出たそれは肋が剥き出し、頭は頭蓋骨が乗っていて窪んだ眼球のあるはずの場所にはカラスが止まってカアカア鳴いていた。
「はは。ふははは。出た、やっと出た!!」
よく見れば猫はオッドアイで、右目は赤いのに左は茶色くくすんでいる。半目だった両目は今や見開かれ、大きく開けて牙を向いている姿は邪悪そのもので、魔法少女のマスコットになれないわけだとひとり納得した。
「破壊しろ!粉砕しろ!」
猫ってもっと可愛い生き物じゃ無かったっけ?しかも黒猫はそう言うが、俺はスーツを着たただのブラック企業のサラリーマン。学校ではずっと文系、通信教育で空手を習ったなどという経緯もない、変身しても力を特に感じない、夢の中でも俺は俺だった。
「どうすればいいの?」
がしゃどくろのようなものに指差して言う。
「必殺技を放て!」
「そんなもの持ってない」
なんだこの黒猫は、日本人はみんなかめはめ波を出来ると思っているのか。あれを大会で行っているのは海外だけだからな。
「お前は日本のサラリーマンだろう!」
だからなんだ。
「杖を振るうんだ!」
マジカルステッキがきらりと光る、よく分からないまま縦に振ってみるとがしゃどくろの上から電車が落下した。カラスは喚きながら空へ逃げていく。頭蓋骨からまともに電車を浴びたがしゃどくろは、うめき声のようなものをあげて骨の軋む音を響かせて地面に倒れた。起こったことが理解できずにぽかんとする。開いた口が塞がらない。
「最終電車か」
は?
「あの電車は毎日お前が乗っている最終電車だ」
いや待ってどういうこと?黒猫に説明を求めたが説明してくれない。がしゃどくろは細長い腕を伸ばしてきたが、その手は途中で震えてぱたりと落ち、黒い塵となってしまった。その塵を黒猫が大口を開けて吸い込んでいく、その光景に何が怖いのかも分からないが怖気立ち鳥肌が立つ、黒猫を見ると小さな舌で口元を舐めてから俺を見た。
「そう言えばまだ名前を聞いていなかった」
「濱田睦」
「そうか。では戦士と呼ぼう」
名乗った意味!?
「それで、君の名は?」
「我輩は猫だ」
嘘をつけ。猫に閉じ込められたなにかだって言っていただろ。

夢はそれで終わり、俺はまたブラックな会社の歯車として命を削りながら生きていく…のかと思っていたが夢はまだ終わることはなくソファの上でうたた寝していた俺の上に黒猫が丸くなっていた。野良猫は好きじゃない、どんな病気を持っているのか分からないから。でも、この黒猫は今俺のところに住んでいるから飼い猫になるのか?そもそも夢なのだから、そんなことも関係ないのか。しかし腹が減った。黒猫を無視して上半身を起こすと驚いたように飛び上がった。
「驚くではないか。起こせ」
文句を言いながらも俺の上から降りてる。
「腹減らない?」
聞くと黒猫は首を横に振るった。俺はひとりで飯を食うことにする。冷蔵庫を開けると大量のゼリー飲料が入っていた。夢で腹が減るのもおかしな話だが、夢のくせに冷蔵庫の中身がそのまんまなのはいただけない。キャップを捻って飲むとお馴染みの酸味があった。味は変わらなかった。

それからも夢は覚めることがなく、黒猫と共にモンスターをハンティングする日々を続けている。技は相変わらず謎だ。知っての通り初めて使った技が「終電」その次にも「納期の迫った書類の山」「追いかけてくる時間」など、それの何処か技なのかと謎なものばかり。こんなふざけた夢から覚めたいのだが夢の覚め方がわからない。今まで時間が無く風呂の入れなかったのに、夢のなかでは毎日湯につかって鼻歌を歌えるし、まともな食事をとれていなかったのに、久しぶりに白米を食べれた。涙が出るほど美味しかった。

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