駄文

幸福なものたち 菜食 01


誰もが羨望するような邸宅にフロリアンは次男として産まれた。生活に困窮することなく裕福に過ごせる家庭、ダイニングルームには大きな一枚窓がありそこから望める庭園には美しい薔薇が咲き誇っていた。テーブルに並ぶのは一族囲んでも有り余るほど素晴らしいものだ。瑞々しく張りのある果物、とれたて野菜をふんだんに使ったサラダ。なんといってもメインは中央に置かれた肉。この日は兄の結婚記念日で贅沢な食べ物で祝う。この家の人は食べることが好きで事あるごとに記念日と称して食卓を囲む。
「凄いな。この肉はどこのだい?」
一族は皆これが何なのかを知っている。グルメの家主が求める肉をシェフが探して買ってくる、自分好みの味になるよう地下室で飼っているほど。
「こちらは南のファームから直送したものです。葡萄が豊富な南産は肉もまたフルーティーな味がすると人気があります。若い雌ですので柔らかく程よく脂がのっています」
シェフの言葉に美味しそうだと微笑む一族に、とんだ悪食だとフロリアンは顔を歪ませる。ファームだとか、直送だとか、如何にも食べ物を指す言葉を並べているがあれは人間だ。同じ言語を話し、自らの家族がいる普通の人。それを食べるなど吐き気がする。
「フロリアン、君もたまにはどうだ」
ちまちまとプチトマトを口に放り込んでいたフロリアンに向かって、兄が取り分けた分をフロリアンの皿に乗せようとした、全身に鳥肌が立ち、食べたばかりのプチトマトが逆流しないように口を押さえて立ち上がり、酸っぱいものをなんとか飲み込む。
「止めてくれ!!あんた達と同じ食卓に付いているだけでも吐き気がするのにっ!!」
立ち上がった時にテーブルクロスを自分のほうへと引き寄せたために、皿が滑り落ちる。割れる音と共に野菜が床に散らばった。
「いい加減に意地を張るのも止めなさい。前にも言ったけれど、あなたが食べたトマトだって、キャベツだって生きていたものなのよ?肉だって同じことよ」
同じじゃない、全く違うものだ。フロリアンは首を横に振るった。価値観の違いは埋めようもない、フロリアンが彼らを怪物にしか見えないように、彼らはフロリアンを徹底したベジタリアンとしか見ていない。耐えられなかった。
「ごちそうさま」
食卓を早々に引き上げる、彼らと自分が同じ形をしていることが信じられない。

ダイニングルームを出てフロリアンが向かった先は自室ではなく地下室だった。自分と同じ価値観を持つ、されど自分とは徹底的に立ち場所が違う人のところへ。どちらかを選べるのならフロリアンは向こう側になりたかった。食べるより知らないうちに食べられたほうが余程マシだ。地下室の鍵を鍵穴に差し込んで扉を開くと奥へと廊下が伸びている。両脇にはドアがあって一部屋ずつに彼らは飼育されている。普通の食肉工場はストレスばかりの環境だという、それに比べたら遥かに優遇されているのだと何時ぞやかシェフが語ったことがあったがフロリアンがその実態を知ることはないし、どうせ食べるというのだからどちらも悪だとフロリアンは思っている。ひとつの部屋の前で足を止めると鍵を差し込んで開く。無機質で簡素な部屋。そこにひとりの少女が居た。歳はまだ幼い、彼女は自身を幸福な子どもだという、神様に選ばれた存在なのだと。フロリアンには理解が出来ない。その少女の傍には本が積み上がっていた。絵本から図鑑、小説、辞書まである。扉が開くと少女が顔を上げてフロリアンを見て本を傍に置くと笑顔で駆寄り抱きついてきた。
「フロリアン!また来てくれたのね!」
「うん。どう?本は面白かった?」
自分の腹ほどにしか身長がない少女をそっと離して、本へと視線を向ける。
「うん!文字って凄いのね、色んなことを教えてくれる」
ファームに暮らすものは文字を知らないのだという、本というものが存在しても絵しか書かれてなく、口頭でそれを引き継いでいるにすぎない。フロリアンは少女に文字を教えた、彼女の学習能力は高く今では難しい文字まで読めてしまう。
「でも、外で遊びたいな」
寂しげに視線を落とす少女に胸が痛む。
「それから、一度お家に帰りたいわ。パパやママに文字を教えるの。それからフロリアンのことも!」
閉鎖空間に閉じ込められてもなお子どもは自身を幸福な子どもであると信じている。家に帰れるものだと信じている。
「うん。父さんに聞いてみるよ」
嘘をつく、聞いたところで答えは決まっている。でも帰してあげたいとも思う。このままここに居ても子どもの運命は決まっている。食べられるだけだ。皮を剥ぎ、内臓を取り除き、丁寧に包丁を入れられて、ただの肉の塊となる。想像しただけで気分が悪くなりフロリアンは自身の想像を頭を振るうことで振り払った。逃がしてあげよう。この子だけでも。
「いつか必ず帰れるよ」
「うん」
フロリアンの言葉に少女は頷いた。疑いなどひとつも持たない澄んだ瞳だった。

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