駄文

幸福なものたち 暴食 02


正体を知ってからというものアンドレアスは肉好きになった。硬く筋ばかりの肉が喋り行動していた人間だと知っただけで得られる多幸感は計り知れない。 この人間よりも自分は幸福だ、肉の塊になり、笑うことも、悲しむことも出来なくなったこの人間よりも自分は恵まれている、運命は彼らに生きることに選ばず、自分は選ばれたのだ。 急に肉ばかりを求めるようになったアンドレアスの変化に妻も息子も驚いていたし、前よりも仕事に勤しむようになった姿に職場の人間も驚いていた。 けれど、食べ続けていると不満が募ってくる。自分が食べているのはよぼよぼになった肥た老人。其れだけでは満たされなくない、老人よりも上に立ったとしてそれがなんの自慢になるというのか。
「肉が欲しいのですが、選ばせて貰えませんか?」
職場で滅多に話しかけることのない上司に声をかけると、年下の上司は分かりやすく顔を顰めた。
「精肉店にでも行ったらどうだ?」
「そういうんじゃなくて、素材から選びたいんです」
何時もだったら直ぐに引くアンドレアスは珍しく食い下がる、上司の顔は晴れないどころかますます眉間の皺が深まった。
「あなた、あれが何なのか知らないでしょう?だったら大人しく精肉店へ行った方がいい」
「知っていますよ」
ここでアンドレアスは上司に顔を寄せて小声でつぶやいた。
「人の形をした家畜でしょう?」
上司の顔が後ろにのけぞった、険しい表情になって裏方へと呼び出され工場の裏へとふたりして向かう、裏には換気扇の排気口があるためさらさにきつい臭いがする。そのせいでもあり誰も寄り付かない。
「それを何処で知った?」
苦虫を噛み潰したような表情で上司が言う。
「夜に工場までジョギングへと来たら、見たんですよ」
何をとまで言わずとも上司は理解した様子だった。
「決して外部に漏らすなよ」
「分かっていますよ。その代わり売って欲しい」
アンドレアスは笑顔で頷いたが上司の顔色は変わらない。
「価格を知っているのか?若い女、子どもの肉など高くて手が出ないぞ」
「ああ。そういうのは求めてないのです。ただ、自分で選びたい」
「はあ?」
意味がわからないと首を傾げる。
「まあ。いいだろう。話されても困るからな、君の給料で買えるとは思えないが、オークションがある。招待しよう。言っておくが、一般人の立ち入りは普通禁止されているんだからな」
「ありがとうございます」
アンドレアスは上司に満面の笑顔を見せた。この不細工な年下上司にこれほど感謝をしたことはない。
上司から秘密裏に招待状を受け取った時のアンドレアスは気味が悪いほどだった。郵送されてきたそれを手にとるや否や小躍りを初めてポストの前でくるくる回る。 最近異様にテンションの高いアンドレアスを息子も妻も気味悪がっていたが、これはいよいよ最高潮だ。
「父さん、何かよくない薬に手を出したのかな…」
「ご近所からご主人最近明るくていいですね。なんて言われたのよ?あれ嫌味よ。だってどう見たって気が狂ってるとしか思えないもの」
妻と息子の言葉など、アンドレアスは耳に入ってこない。ただ目の前にある紙切れに乱舞していた。

取引は午前2時に行われる、次の日が当然のように出勤日になっているので有休を取った。上司はいい顔をしなかったが拒めば誰かに話されるかもしれないという思いからか理由も聞かずに休ませてもらえた。
仕事中も取引のことで頭がいっぱいで浮かれていて、鼻歌交じりで仕事をしていればちらちらと視線を向けられ、距離を取られた。アンドレアスは気にしない。

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