駄文

幸福なものたち 暴食 03


妻も子どもも寝静まった頃にひとり外へ出て行く、いつも仕事で向かっている工場。その裏から奥へ進んでいく、コンクリートで 固められた怪しげな道。風が通らないせいで臭いは滞っていて悪臭が漂っている。その奥へ、奥へ、進んで行くと、怪しげな空気を放つその巨大な洋館はあった。見つけた者が居たとしてもとても近づこうとは思えない。そこには異様な光景があった。仮面や、頭から布を被っている者たちが黒で全身を塗り固めぞろぞろと連なって入っていく。普段着のアンドレアスがこの場から浮いていた。列に並ぶと周りの黒衣から何故そんな格好をしているともいわんばかりにじろじろと見られるがアンドレアスは気にしなかった。ドアの前で招待状を見せられるように言われて、それを渡すと代わりに席の番号札を渡されて中へと通される。
「すごい」
感嘆の声が漏れる、そこは劇場だった。何人も収容できそうな大きなホール、赤い垂れ幕、劇場など縁遠い場所だったアンドレア スにとってこれは初めてみる光景。後ろから早くしろとせかされて前につんのめりながらも足を進めた。自分の席を見つけ椅子に座る、座ったことのないふわふわな感触に年甲斐もなくはしゃぐ、隣の客が迷惑そうにたじろいだが顔は仮面で隠れているのでアンドレアスには伝わらなかった。参加者が椅子に全員座った頃に、会場の照明が落ちブザーの音が響いて赤い垂れ幕が上がっていく、舞台上にライトが照らされ現れたのは道化の格好をした男。
「紳士淑女の皆さんお待たせしました!今回も素晴らしい食材が勢揃いしております。ご存知の方が多いと思われますが説明を致しますと、商品が出ましたら最低ラインの金額を提示します。欲しい方は挙手をして出せる金額をおっしゃってください。当店はオークションとなっております」
アンドレアスはポケットの中に入れた財布に触れた、昼食代を節約して貯めた金と、今まで貯金をしてきた金。これで足りるだろうと思っていたが足りないかもしれない。
「それでは早速、参りましょう」
道化の声と共に中年女性がやってきた、両手を拘束され戸惑いながら視線を彷徨わせている。自分の妻よりもひと回りもふた回りもぶくぶくに肥った女。歩くたびに脂肪が動きその醜さにアンドレアスは顔を顰めた。
「15万スタートです!」
それを合図に挙手をする人、20、21、23!金額が吊りあがり、結果、24万で取引された。競り落とした物は負けず劣らず肥えた体系をしていて気持ち悪さに鳥肌が立った。
「次!」
人の形をした家畜が流れていく、どれもこれも食うことを目的としているためぶくぶくに肥えたものばかり。年老いたものは競りにかけられることなく肉塊と化してしまうのでここに立ち並ぶことはない。アンドレアスは無感動にそれを見ていた。
「次は目玉商品です!四肢が欠けていることもあって早々にファームから引き上げられたものですが、果物だけを与えて育ててきたものでその肉の風味は他のものとは引けを取らない代物です」
道化の言葉に会場がざわつき、身を乗り出す者もいた。からからと車椅子を押してそれは現れた、娘というにはまだ幼く少女というには大人びた。顔からは生気が消えて幽霊のよう、肥満気味ではあるが先程の大人と比べれば何処にでもいそうな体型だった。舞台上に出されライトを浴びてもじっとしたまま動かない。
「では25万スタートです!」
次々と手が上がる、自分が、自分が、と唾を飛ばしながら立ち上がる者までいた。壇上の少女よりも獰猛なそれにアンドレアスは 眉を顰めた。ひとりが70と言ったところでそれは声はぴたりと止まる。
「70、それ以上はいらっしゃいませんか?」
沈黙。
「70万で36番の方が落札されました」
カンと卓上の木槌を叩いて決定される、悔しそうな声がそこらに漏れていた。
「では次の商品に参ります」
道化は言ったが、ぱらぱらと帰るものもが現れた。あれを目当てに来ていた者が殆どを占めていたのだろう、2、3と商品が続いたが 目ぼしいものは無いのか、何人か流される商品まであった。
「ふむ。今日はこれ以上見ていても収穫は無さそうだ。君、どんな経緯でここへ座ることになったか知らないがこれ以上は時間の無駄だよ」
隣の席の男がアンドレアスの肩を叩いて出て行ってしまった。残っている人数は少なくアンドレアスはこんなものかとため息をつく。時間は流れ、そのまま終わってしまった。せっかくあの年下上司に頼んで此処まで来たというのに。肩をがっくりと落とす。もう客は居なくなり幕も閉じていた。
「お客さん。もう店仕舞いだ」
声をかけてきたのは壇上で甲高い声を上げていた道化だった。壇上で見るよりも近くで見た方が彼の格好は滑稽だった。声も地声に戻っている。
「ああ。…オークションというのは皆あんな商品ばかりなのか?」
「そりゃあそうだ。一般に出回っている老人たちがなど出しても競りにならん。君はそんな年寄りを欲していたのか?それとも同じ形をしたものを食べるなんて倫理に反するという理想主義者かい?」
道化の言葉に首を横に振るう
「そうじゃない。俺が欲しがっているのは生きがいいものなんだ。あんな死んだようなものじゃなく」
「おかしなことを言う。皆生きている。どれも新鮮さ」
仮面で隠れて見えないが恐らく眉を顰めている。
「そうじゃなく。肥えてなく、ここへ連れてこられたばかりの、」
「ふうん?変わっているお客さんだな。いいさ、此方へおいで。君のお眼鏡に叶うものがあるかもしれない。初めての君にサービスだ」
道化の言葉にアンドレアスは驚いて急いで立ち上がった。最後まで残っていて良かったと心の底から思った。

道化について行き建物の裏に回る、そこにも大きな建物があった。先ほどの豪華な洋館とは打って変わって無機質な四角い建物。何処か刑務所を思わせた。道化は鍵を差し込んで回す。舞台の上ではないのに彼は仮面を取ろうとはしない。通された建物に入って確信する。刑務所のような。ではない、刑務所だ。檻に人が入れられ虚ろな目でこちらを見ている。道化を見ると怯えたように奥へと消えるものも居た。
「まだオークションには出せないものだらけだが、どうだろう」
視線を彷徨わせるがアンドレアスは落胆する。ぱっと見た感じ自分の求めているものと食い違っている。
「見させて貰ってもいいですか?」
聞くと道化はどうぞ。と腕を広げてみせた。歩いて回る、あたりが静まっているせいで一歩一歩歩く音がやけに響いて聞こえた。その音が鳴るたびに、か細い声が聞こえてくる。角に差し掛かったところで足をぴたりと止めた。黄色い看板に黒い文字で危険と 書かれたその鉄格子の奥からガタガタ鉄格子を震わす音がか細く聞こえてきた。
「こっちは?」
興味が引かれて覗き込むが、真っ暗で何も見えない。電球もなにも付いていない。
「ああ。そっちは文字通り危険なんだ。まだ来て間もないからここの生活に慣れていないんだ」
「見せてもらえませんか」
アンドレアスの言葉に道化はたじろぐ。
「まだ危険な状況だ」
「いいんだ。見せてくれ」
アンドレアスの目は知らずとらんらんと輝いていた、その不気味さに道化はいよいよこの男に不信感を募らせた。目の前にいる男は何を考えている。これが望むものはなんだ。だが、同時にこれ程にまで固執するものが何か見てみたい気持ちも募った。
「分かりました。ライトは付いていませんのでワタシが照らす後ろから付いてきて下さい」
鍵束のなかのひとつを鍵穴に差し込んで、軋んだ音を響かせて鉄格子が開く。中は暗闇、道化の照らすライトだけが心の拠り所だ 。ライトが照らした先の左右を見ても窓ひとつ付いていない。この様子では昼間でも暗闇。舞台に立たされた者や檻の中の者が虚ろな目でをして生気を失っているのも頷ける。こんな生活を強いられていればおかしくなって当然だ。足音が響いて、鉄格子をガタガタ揺らす音が大きくなる。カツン。道化の足音が止まってライトがその先を照らす。ひとりの男がそこにいた。目を殺意で滾らせて牙を剥き出して威嚇する。
「出せ!!ここから出せ!今すぐに貴様の首を捻って殺してやるっ!!」
強い殺気、響く声、びりびりと伝わる振動。
「ああ」
アンドレアスは息を吐いた。体が震える。道化はアンドレアスが恐怖で震えているのかと思った、彼の顔を覗き込み後悔した。恐怖などしていなかった、ましてや泣いてなどいなかった。瞳孔は開き、異様なまでにぎらぎらと瞳の紫が彩色を放っている。今自分が目の前にしているのが何なのか分からなくなって道化は一歩後退した。

これだ。見つけた。これが食べたい。

アンドレアスは歓喜に震えていた。老人、女、子供、そんな弱者を腹に収めたところでなんだと言うのだ。弱者を甚振って、冒涜して、愉悦を得るなど弱者のすることだ。自分よりも強者を貶めて嘲笑って冒涜して、それがなんて甘味なことか。
「これがいい。幾らですか」
怒声を浴びせる檻の中から聞こえる声などまるで無視して、アンドレアスは微笑んだ。
「や…これはまだ食肉には早すぎます。油も乗っていないし。…何より暴れます」
道化の言っていることが分からないとアンドレアスは首を傾げた。
「鎖で繋いでいれば問題ないでしょう。解体をしたことはありませんが、まあなんとかしてみますよ」
「ご自分で解体するんですか!?」
信じられないとその口調が語っていた。
「ええ。勿論です」
当然のように微笑まれて道化は閉口した。オークションで聞いた値段とは違って破格の値段だった。妻と息子が寝静まっている今のうちに運び込むつもりだ。誂えたかのように自宅には地下室がある。ワイン好きであった前の持ち主が作ったものらしいが今で は物置としても使っていない場所。風は入らず停滞した冷たい空気。不気味な雰囲気を醸し出しているのが妻には耐えられなかったらしい。地下室への鍵は固く閉ざされたままだ。息子も俺も地下室を使う用事はない。だが声だけが心配だ。妻も息子も肉がなんであるのか知らない。アンドレアスが人間にしか見えないものを地下室で監禁していたと知れば刑事事件になる。声帯を潰せばいい。そう思い当たった。考えてみればそれはとてもいい考えだ、そもそも食材が喋るのがおかしい。野菜は、肉は、喋りはしな いのだから。
「漏斗ありませんか?」
道化が不思議そうにアンドレアスを見る。
「それと強酸も」
道化は恐ろしい化け物でも見るようにアンドレアスを見上げた。ここで行っていることは人を食肉にすることだ、生きていくために必要な。ちょっとした贅沢。けれど目の前の男は別の目的がある。道化はアンドレアスに関わったことに後悔した。このおぞまい化け物の前から早く立ち去りたい。
「………分かりました。持って来ましょう」
断るのが怖かった。道化は保身で頷いた。アンドレアスは道化のそんな感情に気づいているのかいないのか彼は邪気のない笑みを見せてそれが余計に怖かった。少し待つと道化が目当てのものを持ってきたそれを受け取った彼は、新しいおもちゃを与えられた子供のように喜んで檻へと近づいた。
「入ってみろよ、くびり殺してやる」
牙をむいて唸るそれにアンドレアスは怯むことはない。檻の外にあった掃除用のホースを手に取った、蛇口を捻るとホースをそれに向けて指で少し押しつぶす。細い水圧が襲う。両手で庇って逃れようとするが、アンドレアスは蛇口を最大に捻る。
「っ、」
口を開けば重点的に当てる。道化は見ていられなかった。普段から肉への扱いはいいとは言えない、だが嗜虐を目的としたことはない。アンドレアスのこれは違う。食肉を求めているのではない。彼は、彼の目的は違うところにある。アンドレアスはホースを左手で持ったまま右手で鍵を開ける、肉は逃れようと左右へ逃げるが、彼はホースを向けたまま近づいて、右足を大きく振るって肉を蹴りつけた。鳩尾に当たり肉はよろめいて壁に叩き付けられる。喧嘩などしたことなどなかったが、足に伝わるその感覚に仄暗い喜びを感じた。知らず唇は弧を描いてた。近づくと我武者羅に腕を振り回す肉。滑稽な姿に声に出して笑いだしていた。こんなにも愉快な事は知らない。笑い声に相手が怯んだ、今目の前にいるそれが何なのか理解出来ない、体格では自分が上だ。あんな水など無ければ、あったとしても機を見て攻撃する隙などいくらでもある。だらしない体の中年男など敵ではない。そのはず、その筈なのに。彼の狂気を目の当たりにして恐怖する。人間ではない。あれは、自分とは違う生き物だ。腕を振り回すことも出来なくなった肉を壁についていた手枷に嵌める。
「なんなんだっ、なんなんだよっ!!!」
これが最後の言葉となった。首を強引に固定されて水を強引に口の中に入れられる。薬品を流し込まれる。血走った目を見開いて、手足を必死で動かして、声にならない絶叫を上げた。

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