駄文

幸福なものたち 暴食 04


またお願いしますと告げた時道化はガタガタ震えていた。冷房など効いていないのに何故こんなにも震えているのかアンドレアスには理解出来なかった。力の入らなくなった男を運ぶのには力が必要だったが道化に移動させたいことを伝えたら、人力車を用意してくれた。至れり尽くせりでアンドレアスは喜んだ。 車夫には深夜に来てもらったこともあって、金貨5枚を渡してやった。車夫は目を見開いてそれを奪うように取り、鼻歌を歌いながらカラになった人力車を引いて行ってしまった、アンドレアスの気が変わらないうちに受け取りたかったのだろう。男のそんな態度も今のアンドレアスは気にならなかった。 気を失い、ぐったりした肉を引きずりながら地下室へと運ぶ。赤く鈍い光を放つ豆電球の下にはこの時のために用意した椅子が中央にひとつ、壁に並ぶのはワイン棚。アンドレアスは肉を椅子に座らせロープで厳重に縛り上げた。強酸で喉を潰してはおいたが心配もあり布で口を縛っておくことにした。それが完成すると満足し、愉快そうに軽快に肉の周りでくるくる踊る。 「ああ。愉しみだなぁ、愉しみだ!」
アンドレアスは肉が目覚めるのを待つことにした、反応がないとつまらない。ようやく手にいれた美術品でも眺めるようにアンドレアスは飽くことなく肉が目を覚ますまでにこにこしながらずっと眺めていた。憐れな男が気づいて最初に見たのはアンドレアスの楽しそうな笑顔だった、逃げようともがいたが頑丈なそれは解けず、ふうふうと荒い息を漏らす。視線を横に移すとワインが並ぶ筈だったそこには様々なものが並んでいた、肉切り包丁、ノコギリ、鉈、フォーク、スプーン、ナイフ。狂ってしまいたかった、人の意思など粉砕していればよかった。なのに縛り付けられても肉はまだ正気を保っていた。自分がどうなるのか理解していた。
「やっと気づいた!待っていたよ!待っていた!」
ぱっと咲いたような笑みを見せてアンドレアスは立ち上がって棚に近づいた。
「この日のために集めておいたんだ」
愛おしそうに肉切り包丁の柄を撫でてからそれを掴んで、肉に視線を向ける。
「んー何処からにしようか。腕?足?腹は捌いたら早くに傷みそうだし…」
上から下までじろじろ眺める。椅子に縛られた男は吐き気がして仕方がない、恐怖で歯がガチガチと音を立てる。
「足、足に決めた!ん、んーでもなあ、うん、手にしよう。うん。そうしよう」
ひとりぶつぶつ言いながらアンドレアスは決定した。肉が暴れ椅子が揺れるが解けやしない、喉からひゅうひゅうと音が漏れている。声を出したいがそれも叶わない。
「これで切れるんかな」
アンドレアスは肩に刃物を当てた、ぐっと力を入れると男は声にならない悲鳴をあげた。切れ味が悪いのかこの包丁では限界があるのかうまく入っていかない、血が流れて床を赤黒く染めていく。
アンドレアスは包丁をスライドさせながら切っていく、暫くすると硬いものに当たって押して引いても刃こぼれするばかりで切れなくなった。 「ああ、骨があるのか」
肉は気を失っていた。包丁を止めて鋸を手に取って少し考えて鉈に切り替えた。上から叩き落すように割る、みしみし嫌な音を立てるが一向に千切れる気配はない。
「難しいな…解体業に教えて貰えばよかった」
仕方なく諦めて、アンドレアスは骨を避けて削ぐことにした。骨を斬ろうと躍起になっていたために肉がとても柔らかいものに感じた。肩から手首に沿って刃物を引いていく。
肉が千切れるとトレーの上に乗せ、今日はここまででいいかと頷く。見ると気を失ったままの肉の右の肩から手首に掛けてごっそりと肉が削げて骨が露呈していた、初めに肩を斬ろうと必死になっていたので今にでも腕が引き千切れそうだが、辛うじて骨だけで繋がっていた。
床は血にまみれ、自らの手もエプロンも血塗れだった。掃除が大変そうだとアンドレアスは眉を潜め、布で肉の肩を縛ってやった、死なれては困る。腐ってしまえば食べられなくなる。
トレーからまな板に肉を映して皮を削いでいく、皮はしんなりとしているうえにしっかりしていて血を落とせば針と糸で何かが作れそうだ。新しい趣味を始めるのもいいかもしれない、アンドレアスはそれを取っておくことにした。
肉の塊になったそれは脂肪が少なく赤身ばかり。筋肉質な男であるからそれも当然、だがアンドレアスはそれに満足した。エプロンを脱いで、地下室から出て自宅の食器棚の横にある冷蔵庫に入れた。包丁が欠けてしまったせいで切り口は歪だが、妻や息子が見てもただの肉にしか見えないだろう。早く食べたい衝動に駆られたが、先に掃除をしなければ血がこびりついてしまう。アンドレアスは地下室へと急いだ。

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